征西軍記 懐良親王、良成親王を偲ぶ旅

ところで今回のタイトルの二人の名前ですが、ちまたでは色々な説がありますが、
自分は懐良(かねよし)親王、良成(りょうせい)親王と呼んでいます。
今回は三回に分けて今年の五月に出掛けた九州遠征の旅を紹介しようと思う。
しばし、お付き合い願いたい。
さて、旅に出掛けたのは仕事が終わった五月四日の夜だった。
GW真っ最中なので夜の内に東京を抜けたかったのだ。
その日は三重の長島で車内泊。ちなみにこの後家に帰るまで車で寝泊まりしました。
次の日はひたすら高速道路を西へ。夜は熊本の玉名PA。
この日はついに高速道路から降りる事はなかったよ。
所でこの付近はガンパレの九州撤退戦の舞台になった場所です。それを思うと感無量だなあ。
翌日は植木インターで高速を出て一路東へ。
目的地の菊池に着いたのは8時ぐらいだったか。

まずは菊池神社前にある菊池武光(たけみつ)公の銅像です。
武光公は懐良親王とともに「武王の門」の主人公ですね。
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この銅像の後ろが守山で武光時代に菊池氏の本城であった隈府城です。
左は西側の神社正面から、右は東側の内裏尾方向から見た所です。
ちなみに十数年前に来た時は右の写真中央左の駐車場で車中泊しました。
今は城跡に菊池武光を祀る菊池神社があります。

これは城山の麓にある参道にある鳥居です。ここから階段を上がって神社へ向かいます。

階段は結構きつい。これも城郭故の攻めづらくする為か?
そう思ったらこれは明治になってから神社を造った際の参道なので当時はなかったらしい。

やっとこさ本殿がある境内へ。ここは隈府城の本丸があった場所である。
残念ながら当時の面影を伺う事は出来なかった。

本殿の左に宝物館があり途中の階段脇に本丸跡を示す石碑があった。
朝も早い事もあって宝物館はまだ開店していなかったが、社務所の巫女さんを急かして開けてもらった。
もちろん客は自分一人だ。好き勝手に写真を撮りまくるイヤな客になる。
弁明しておくが撮影禁止の張り紙はなかったと思う。たぶん・・・

菊池神社の絵図。

菊池周辺の模型。見れば解るが隈府城の周辺には菊池十八外城と呼ばれる城塞ネットワークが形成されている。
これにより各城郭が相互支援され菊池一帯が要害地帯となされたのである。

そしてこれが菊池千本槍だ。
太平記によれば槍が武器として使用されたのが箱根雪の下合戦の際の菊池軍が始まりとか。
官軍として新田義貞配下の菊池武重(たけしげ)軍が殿軍として足利軍の追撃を防いだ時がデビュー戦。
つまり槍による集団戦が確立されたのがこの時だと言う事。
それまでの合戦は基本的には個人戦がメインだったので、騎馬を主体にした板東武者中心の足利軍にとっては
槍を使った集団戦法は想定外の戦闘になった事であろう。

これは武光公使用の軍配。年代物の為かぼろぼろだ。
他にもいろいろと写真を撮ったが全部は紹介出来ない。また機会があればお披露目したいと思う。

次に神社を出て北東側にある懐良親王が住んだという内裏尾に向かう。
神社裏手にぐるりと出ていったん谷津を下る。昔は堀だったのかもしれない。

すると前方にこんもりとした高台がある。ここは前回は訪れなかった場所である。

登り口の脇にこんな看板が。おお、我らが良成親王ゆかりの湧き水らしい。
またまた階段を上がる。こっちは狭く急である。

階段を上がると説明文があった。どうやらここが懐良親王が居た場所だそうだ。
そして内裏尾の上。

ここに菊池時代の征西府があったと思うと感動だよ!
でも結構狭いんだな、これが。本当にここかと思ってしまう罰当たりな自分。
この後は周辺をぶらぶら歩いて再び神社へ戻り参拝記念のおみやげを購入。

ここでは御札と御守りを二つ。
真ん中のお守りはランドセル型のものだが百円玉が五枚入るとなっているが
何のお守りだったかは思い出せない。
しかしサイズ的に六分の一ドールに合いそうなので買ってしまった一品である。

さて菊池神社を堪能した後は愛車に戻って愛用の折りたたみ自転車でもって市内見物へ出発。

まずは菊池高校近くの能舞台。ここは懐良親王ゆかりの松囃子能を演じる時だけに使用されるらしい。
なので普段は戸閉めみたいだ。
奉納神事が行われるのは10月13日みたいだぞ。

能舞台の向かい側にあるのが将軍木と呼ばれているでっかい木。
由来は・・・・看板を撮るのを忘れたので不明だ。オオボケだよ・・・・
今度は菊池神社から南東に移動して正観寺に向かう。

ここは武光時代の菊池家の菩提寺で武光もここで眠っている。

これがお墓。なんでもこのお墓の型式は湊川にある楠木正成の物を似せて作られているそうだ。
ちなみに武光の跡継ぎである武政の墓碑もここにある。
次に武光の兄で先々代惣領である菊池武重のお墓に向かう。正観寺よりさらに東にペダルを漕ぐ事10分。

途中で菊池一族らしきお墓に遭遇する。菊池能運の墓となっている。
この人物は武光の七代後の肥後守だった。いろいろ苦労して25歳で亡くなったそうだ。
さらにペダルを漕いで先を急ぐ。やって来たのは東福寺

ここは武重兄ちゃん時代までの菊池家菩提寺である。

博多合戦で亡くなった叔父さんのお墓や

都争奪戦で亡くなったお祖父さんの弟のお墓がある。
そしてなぜか境内から離れた向かいの田圃の真ん中に武重兄ちゃんのお墓があった。

武光のお墓と同じぐらいに立派なお墓である。墓碑の台座はなぜか亀だ。
東福寺を後にして今度は南西に移動。菊池川沿いにある北宮へ向かう。

鳥居脇にあるのは自分の自転車です。
ここには懐良親王が使ったという軍配団扇があるそうだが展示してある気配がない。
神主さんに訪ねようとしたら祈祷に来たお客さんがいたので忙しそう。
しばらく待ったが終わる気配がないので諦めて次の場所に向かう。
北宮から菊池川沿いに南下する事5分。田圃の真ん中に石碑発見。

ここが武重兄ちゃん時代までの菊池氏の本拠であった菊之池城跡だ。
石碑以外なにも面影はない。とにかく周りは水田だけだ。
さて、これで市内観光を終わりにしてひとまず車に戻る事にした。
車に戻って隣町に移動。向かったのは「世界の果て」ならず台(うてな)城。

写真は菊池神社から見た台城方面。

別名「水島城」つまり水島の戦いの舞台となったお城なのだっ!
今川了俊率いる幕府軍に対して寡兵の征西府軍を統率するのは総帥良成親王16歳!主将菊池武朝14歳!!
腐女子お姉様の妄想を掻き立てる美少年(作者補正)コンビ!!

詳しくは説明文を読んでね。ちなみに近くには七城メロンドームがある。この辺はメロンの産地らしい。
水島城を攻略した後は菊池を離れて次の目的地へ。さらば菊池よ、また来るまでは〜
これから向かう武朝のお墓は菊池神社から北東方向、竜門ダムの近くだ。
途中で鷹取城の標識を見つける。

別名「染土城」良成親王が立て籠もった城だ。ここはじっくり攻略したかったが諦めた。

農家の裏山が城跡らしいのだがどう見てもガサ藪にしか見えない。
時間も迫っている事もあるので入り口で記念撮影だけして移動。
そしてカーナビにもない道を進む事十数分。その標識は現れた!

菊池武朝墓所キター!!

これもとんでもねー山の中である。車も途中で止めて歩く事になった。
正直言って獣道だよ。周りは山また山。

薄暗い獣道を行く。15分ほど登ると標識が。せめてあとどれくらいか書いてくれよ。
さらに進むと藪の中に鉄の檻がある。?と思って見るがこれが2メートルぐらいある大きい罠だ。
いやな予感がした。
足取り重くしばし進むが、今度は獣道の真ん中にこんもりとした盛り上がりが!
なんかのうんPー!型くずれしてないつい最近のものらしいYO!しかも太さが自分の腕よりぶっとい!!
「すごく・・・大きいです・・・・・」
ここは熊本県、さっきの罠は熊用かクマー!!
武朝のお墓は諦めました。生命の危険を感じてダッシュで下山しましたよ、ええ。
そんな思い出を最後に熊本県から福岡県へ。
カーナビの指示のままになにも考えずに走ったらいつしか峠道に来ていた。
左端は崖だよ。道は狭いしカーブはきつい。どうやら穴川峠らしい。
まだ昼飯喰っていないのに付近には店なんかネーよ。
飢えた獣は先を急ぐ。途中の湧き水で喉を潤す。
山の上だというのに水くみおじさんがいた。親切に場所を譲ってくれてありがとうございます。
ひとまず大分県を通過してから福岡県に入る。するとなぜかカレー屋があった。
ここで一休みしてタケノコカレーを食べた(ような気がする)。
次の目的地は矢部村という所。そこに良成親王のお墓があるという。
目印の大杣公園を目指して山道を進む。そして目的地はあった。
しかし公園の入り口で憎きえすてまを洗車しているオヤジがいた。
水道代をケチって公園の水道で洗車しているよ!邪魔だよ!家で洗えよ!!
入り口の階段を上がるとそこにはこんな山奥には似合わない立派な陵墓があったのだった。

京都の街角や奈良でよく見る皇室関係のお墓だよ。

ちゃんと宮内庁公認だよ。
どうやら良成親王はこんな山の中で晩年を過ごしたらしい。
征西将軍宮となるべく九州に来た良成親王であったが、
志し成らず吉野に戻ることもなく異郷で生涯を終えたのだった。
嗚呼、誰か大河ドラマにしてくんねーかよ!

さて、今を去ること十ウン前年に大河ドラマ太平記が放送された頃、一冊の本を買った。
「征西将軍 懐良親王の生涯」という本だ。
これを読み懐良親王のお墓が九州の数カ所にある事を知った。
その一つが星野村大円寺にあるという。

ここが懐良親王終焉の場所らしい。
このお寺には懐良親王ゆかりの品が数多くある。
お寺のおばあちゃんと一時間ほどおしゃべりしてから史料館を見せてもらいました。

懐良親王使用の太刀。カンドーだ。他にもいろいろとあった。
住職のお坊さんとは車の話題で話が弾みました。その節はありがとうございました。
お墓は裏山の頂上にある。
写真中央下にある屋根が大円寺。後ろの真ん中にある少し低い山の山頂にお墓がある。
標高は450メートルほどで車で登れるが狭い山道だ。炉端の向こうは崖だよ。またこんな道だぜ。
20分ほど登って山頂に着いた。山頂から少し低い所にお墓はあった。

むむ、本で見た写真よりもきれいだぞ。

どうやら最近になって墓石を新しくしたらしい。ちょっと風情がなくなって悲しい?!

彼もまた晩年を山奥でひっそりと過ごしたのであった。
こうして十数年前に読んだ本を見て行ってみたいと思っていた場所に来ると感無量である。
記念に石を一つ持ち帰る事にした。ピラミッドみたいな形の石は家の階段に飾ってある。
階段を上り下りする都度、懐良親王の事を思い起こす。

山頂から見た星野村の風景。懐良親王はこの光景を見て何を思ったのであろうか。

こうして懐良親王終焉の地を後にした。帰り道、星野川沿いに絵になる石橋を見る。

小学の教科書に載っていた眼鏡橋の話を思い出した。あれはこのあたりの話だったような気がした。

石のため作りがしっかりしているのかいくつも見かける。どれも立派である。
こうして星野村を後にして次の目的地は久留米にある高良山高良大社である。
今宵の宿を高良大社にすべく久留米に向かう。
途中肉屋で肴に馬刺を買う。早く一杯ヤリタイぜ。
ところで高良山はこっちでいうと筑波山みたいな感じなんだ。
高良大社へ登る道は結構カーブがきつい。いろは坂みたいなんだよ。
頂上にある高良大社に着いた時はあたりはすっかり夜になっていた。

これが高良大社前の駐車場から見た夜景。
「夜景がやけいにきれいだね」
さて、ここで一杯引っかけて寝ようかと思ったんだが想定外の出来事が!!
ここは夜になるとドリフト族が集結するんだって?!
そんなうるさい場所で寝てられねーよ!
仕方がないので移動する。安眠を確保するために贅沢に高速に乗って南へ。
広川SAでやっと安息の場所を得たのでゆっくりと馬刺に舌鼓を打ちつつ晩酌。
ほろ酔い加減になってきたので眠りにつく。今日はいろいろな場所に行って楽しかった。
明日も楽しい場所に行けますように。
やがて睡魔が襲って来た。安らかな眠りに誘われて夢の世界へ・・・・・・行けなかった!!
気が付くと顔や手が痒い!なぜだ!
ライトで車の天井を見るとそこには蚊の軍団がッ!!
パンチ!パンチ!パンチ!次々と天井が赤く染まっていく。みんな自分の血だよ、トホホ・・・・
こうして久留米の夜は過ぎていくのであった。
(続く)