さて、世間様は一丁前にも三連休でーした。
なので余も今年最後の三連休をわっしょいして来ましたよ。
余が訪れたのは横浜にある小机城址であった。
ここは戦国時代に小田原北条氏の重要拠点でした。
余は信長の野望をプレイする時は必ず北条をセレクトしていた関係で以前から行ってみたいと思っていた城でした。
なので念願叶ってついに来ましたよ。
写真は小机城遠景なのだが、アパートに隠れてイマイチ見えない。
入り口から入ると最初にある空堀。
壮観である。ここまで見応えがあるとは思っていなかったので圧倒されたよ。
いかにもな中世城郭らしいのでうれしくなる。
堀の深さは10メートル程か?結構深いので迫力満点だ。
二の丸にある櫓台。左側の高台がそれである。
ここは虎口になっており奥に二の丸があるのだが、一説に寄れば本丸ともなっている。
まるで嵯峨野の様な竹林。
左が二の丸で奥が本丸方向である。
堀の底を登っていくので余が寄せ手ならば左右から矢を射られる事であろう。
余は動物なので真っ直ぐに攻める事しか知らない。
本丸には復元(?)された冠木門があった。というかこれしかない。
今は野球場になっていたよ。
冠木門脇にあった石碑。
横浜をなんとか抜けた余達は横須賀へ三笠を見に行く。
しかし人がいっぱいでわっしょいだ!
なんだか知らんけど横須賀産業まつりの会場になっているらしい。
まつりだまつりだ!わっしょい・・・・てなんだよこの人集りは?!
何度か来た事あるが、三笠公園でこんなに人がいるのを見た事ナッシング!!
こんなに活気に満ちた三笠は見た事ないぜ。
駄菓子菓子、まつりのおかげで三笠の入場料はゼロだった。
合衆国日本、ふぉー!!
でもタダだからってスカートで軍艦に乗ってはイケマセン!!
ついつい上を見上げてしまう余であった。
横須賀沖に猿島という小島がある。
ここへは連絡船で行くしか方法がないが、まつりのおかげで運賃が半額だった。
これはイクぅしかないという事で乗船する。
久しぶりの船旅である。
猿島が見えてきた。
気分はプライベート・ライアン並みに上陸作戦気分である。
決してペールゼンファイルではない。
猿島は戦中までは旧海軍の要塞があった。
なので今でも島の各所に名残がある。
これは弾薬庫に続くトンネルだ。
「トンネルに甘えるな!」などと同行者と盛り上がりながら行く。
すんげー楽しい!!
ちなみにここは村上弘明のスカイライダーで敵の基地としてロケに使われていたのを覚えている。
綺麗に整備されているので歩くのも楽になったが十数年前に来た時はぬかるみだった。
トンネルを抜けるとそこは雪国ならず、砲台だった。
型式から思うに隠蔽式の要塞砲があったと思われ。
せいぜい8インチクラスか?
更にその先にある砲台跡。
こっちは高射砲のだと思う。
フツーの人にはなんだか解らないだろう。
ミステリーサークルにしか見えないんじゃないか?
島内にはこんなのが五カ所ほどあった。
日蓮僧正ゆかりんの洞窟。
いわれは知らない。
そもそも猿島と呼ばれるのは空海が関係していた様な気がするのだが・・・
猿島から横須賀に戻ってきた余はドブ板通りを散策する。
すると前方に人集りが?!
人垣を押しのけて前に出るとそこにはエロエロエロエロえろチックなお姉しゃん達がぁ?!
余が異国の文化に触れた瞬間であった!
そんなこんなで横須賀で堪能した余であった。
帰り道でガラスの渋滞に巻き込まれベイブリッジを渡る頃にはすでに夜になっていた。
「お前は最高速トライの左に乗った。この先、命の保証は出来ない!!」
ああ、気分は湾岸ミッドナイトぉ!!(お馬鹿)
デ・カルチャーの日は一転都内散策。
向かうは徳川の城、江戸城。
篤姫の舞台である。大河は見ていないが。
今回余は平川門から入ったが、当時ここは生者が出る事はない門であった筈。
いわゆる不浄門だったと思う。
と思ったらそれは脇にある小さな門の事だった。
平川門の前にある水堀。
まあ、立派の一言に尽きる。
都内だというのに綺麗な水堀が残っているのはよい事である。
おかげでイタリア人も全裸で泳ぐ事が出来るというものだ。
流石に徳川の城だけあって広い。
小机城の十倍ぐらいある(当社比較)。
これは二の丸にある茶室。
残念ながら接近する事は出来ない。
今はこれが精一杯。
本丸に上がると貴重な富士見櫓裏に出た。
外人さんが記念写真を撮っていたので余も撮る。
これは現存らしい。船場貴重である。
感じ的には弘前城に似ているかな。
これが有名な忠臣蔵の発端となった場所なのだが、今は石碑のみ。
でも結構人が来ていた。流石は有名どころである。
この季節に桜が咲いていた。
どうやら十月桜という品種らしい。
この写真を撮っていたら外人さんに道を聞かれた。
パレス、パレスと言うので建物の事だと思って富士見櫓の場所を教えたのだが
後で思うとパレスとは天皇がいる宮殿の事だったのではと思う。
そうであったなれば気の毒な事をしたかな。
天守台から本丸を眺める。
我が染土城とは雲泥の差がある広さだ。裏山椎茸。
建物がなんにも残っていない所為か、やけに広く感じるぜ。
天守台全景。
石垣だけだがそれでも結構高い。
でもやっぱり寂しさが感じられるのは建物がないからか?
名古屋んも大阪ぁも熊本も天守があって絵になるのにと思うと寂しいか。
観光用の天守が欲しいと思うが皇居を見下ろしてしまうのはNGか?
最後は北桔橋門に抜けて江戸城を去る。
ここは太田道灌時代の大手になるそうだ。
本丸を守る重要な場所なので石垣も高く堀も険しい。
イタリア人が泳ぎたくなるのも仕方がないか?
この後は神田で古本祭りを見てからアキバに移動。
こうして余の三連休は終わりを告げたのであった。