またまた戸松、西へ! その3 萌える大坂城!

こんばんわ、貴方のリョウセイです。

来月のドルパですが、何とか休めそうです。
余にとっては一年ぶりのドルパとなりますね。
問題は今のところ是が非でも欲しいアイテムがないので、限定列に並ぶかすみか列の並ぶか?それとも一般列で逝くかです。
流石に今年はもうお迎えはしないつもり。
すでに5人をお迎えしているので征西府の財政はかなりヤバイです。
今回は一般列に並んでディーラーさんで服漁りをしようかなぁ?
それでもお財布には優しくなさそうですね。


それでは大坂秋の陣の続きです。
いよいよ天守閣を攻略しちゃうぞっ!

ン十年ぶりの大坂城天守閣です。
現在の大坂城はヒデヨシの大坂城を埋めて作り直した徳川のモノです。
ですが再建された天守閣はヒデヨシ時代のモノです。
まあ、大坂城の魅力は天守閣よりも縄張りにあるのですが、折角ここまで来たのですから登っちゃいますよ。
なお、ここからが有料区域です。
余が入ろうとしてチケット買おうとしていたら、前にいた厨房女子が「高いよね」「高いわね」と相談していました。
今時の修学旅行は自由行動が基本らしく、入場券を買うのも個人個人なんだな。

天守台に到る階段を上がると金明水井戸があって、その後ろに号令砲がありましたよ。
所謂、半ドンのドンになった大筒ですね。
「リョウセイのも、これぐらいご立派だったらよかったのにね」
「ちょ、まっ、それって何の話しだよっ?!」
ポークビッツではねぇ・・・・・」
「だから、何の話しなんだよッ?!」

今ある大坂城天守閣は戦前に再建された鉄筋コンクリート製で、エレベーター完備です。
なので膝も痛いので今回はエレベーターで一気に頂上を目指しました。
楽ちんですね。
最上階は厨房でいっぱいです。あとはジジババ。
望楼からは司令部庁舎がよく見えましたよ。
天守閣もそうですが、司令部庁舎も戦時中に爆撃されなかったんですね。
よくも助かったものだ。
それとも米軍が戦後使うつもりで標的から外したのかも?
しかし、こうして見ても紅葉しているのはほんの少しだけですね。

今の天守閣がある場所の東に、トヨトミ時代の天守閣がありました。
で、今だと上から見ると広場みたいな空間があります。
ですがここは閉鎖されていて入れないんです。
思いっきり謎の空間でした。
「ちょっと気になるかしら・・・?」
「やっぱり黒猫タンも気になりますか?」
「見過ごせないわね」

てな訳で、途中の階にある博物館はスルーです。
天守閣から出て天守台の西側に回り込むと天守台石垣の一部が新しくなっていました。
実はこの部分は戦時中に爆撃を食らった箇所なんですよ。
なので石垣が新しいんですねぇ。
この石垣の前で黒猫を出したかったんですが、後ろ側で消防が昼飯喰っているんで出せなかった。
なので心残りです。

更に回り込んで天守台北東に逝くと、ここも爆撃された跡があります。
こちら側は通路とは反対側なので、キレイに修復されずに歪んだままですね。
戦争の傷跡はこんな所にも残っていたんですよ。

天守閣東側にある謎の空間。
何らかの施設がある様だ。
結局解らず仕舞いだったのですが、帰ってきてから調べたらどうやら水道設備らしい。
なるほど、これは重要施設だと実感出来ましたよ。
今でも大坂城は要所なんですね。

本丸北側の山里曲輪には、タイムリーな淀君のお墓がありました。
ですが秀頼さんのお墓はないんですね。どうしてでしょ?
淀君の本名は茶々ですが、赤ずきんは被っていないですから要注意(w
「そんな昔のネタ、覚えている人なんていないわよ」
「そ、そうかなぁ・・・結構好きだったんだけどなぁ、チチ!ハハ!とか」
「それって中の人は一緒だけど番組が違うから・・・・」

淀君のお墓から東に、豊臣秀頼 淀君自刃の地なる石碑を発見しました。
ちょうど大阪に逝く一週間前のシエで紹介された石碑です。
二人はここにあった倉庫から天守閣が燃え落ちるのを見たのでしょうね。
「余はここから萌えるほどすばらしい大坂城を見たのであった」
「・・・誰に向かって言っているのかしら?」
でもトヨトミ大坂城は徳川に埋められちゃったので、実際の自刃の地はこの地下にあるんでしょうね。

萌える大坂城天守閣を後にして極楽橋を渡って西の丸方向に向かいます。
そしたら高麗門付近で内濠越しに見える本丸石垣と天守閣が萌える程素晴らしかったので我慢できずに茗子さんで出しました?!
「・・・で、出しましたではないでしょ?引用は正確にして欲しいわ。妙な誤解を招くから」
「やだなぁ茗子さん。いくら余でもこんな青空の下で昼間っから五回も出さないですよ。楽しみは夜の分に取っておきます」
「それが誤解っていうのよっ!!」

西の丸には庭園があるのですが、北側からは入れません。
一度京橋から外濠の外周部に出なければならない様だ。
で、京橋口に出たのですが、ここは戦争で燃えちゃったらしく石垣しか残っていないです。
ですがここにも巨石がありました。
通りすがりの一般リーマンと比較してもらえれば、その大きさを把握出来ると思いますよ。

西の丸にある乾櫓です。
今回のイベントでは、これも一般公開されていた様です。
余は時間の関係で西の丸庭園はパスしたのですが、かなり勿体なかったです。
大坂城ではゆっくりし過ぎて時間オーバーしちゃったんだよ。
10時前に来たんですが、すでに2時近い。
なので心残りだが、次の目的地に向かいながら西外濠沿いに南下するですよ。

千貫櫓と大手門。
確か千貫櫓は現存だったと思う。
「ここも時間の関係でスルーしたのよね」
「梅園で人がいなくなるのを待ったので時間が掛かったからな」
「どうでもいい事に無駄に時間を使うからよ」
「もしも黒猫タンがDDで出たら、余は必ずゲットして痛撮するんだ。
その時はベストショットを撮る為には時間の浪費も惜しまない。素晴らしい黒猫タンを撮影するんだ」
「・・・・そ、そう・・・・・・」

南外濠のニノ丸石垣を西から東に向かって見ると、素晴らしい石垣の折れが実感出来ますよ。
こんなの見ると、やっぱ大坂城の魅力は天守閣よりも、石垣と水濠だと思うマンダム・・・
大坂城へは10時前に来たのですが、北側の京橋から二の丸本丸とぐりぐり歩き回って
気が付けば2時を過ぎていました。
それもこれも大坂城の縄張りが想像以上に素晴らしかったからです。
名残惜しいがそろそろ次の目的地に向かって移動です。
さらば大坂城
また萌えに来るぜッ!!

大坂城から南に歩いていくと、NHKの近くに高床式倉庫を発見!
道路の反対側だったので逝きませんでしたが、ちょっと勿体なかったかな?
あそこでドール撮影すれば楽しかっただろうなぁ!

実は大坂城からすぐ側にあった難波宮跡。
確か大化の改新後に孝徳天皇の都があった場所なんですよね?
まあ実際の政治リーダーは中大兄皇子中臣鎌足さんらだったんですけど。
ほんとにこんな近くだったんですねぇ。大手門から歩いて10分ぐらいで着きましたよ。
奈良の平城宮にも似たような礎石がありますが、こちらは町中の公園にぽつんとあります。
ですが観光地でないので誰もいなかったです。
って、そうなると・・・・・

難波宮でもお人形撮影を実施しちゃいましたっ!!
ほんとTPOなんてまったく考えない迷惑ヤローですね(w
後ろの方に大坂城天守閣も見えますよ。
ところで孝徳天皇というと思い出すのは奥さんの間人皇女ですね。
中大兄皇子実妹(ハァハァ!)なんですが、お兄ちゃんとラブラブだったそうです。
あの時代でも妹萌えはあったんですね。
「あんた少女まんがの読み過ぎよ」
「そんな茗子さんだって、少女まんがのおかげです」
「はぁ、困った事だわ」
「でも最近はさっぱりコミックスは買わなくなりましたよ」
「買うのは精々薄くて高いまんがですものね」
「い、いやだなぁ・・・そんな誉めないで下さい。照れますよ」
「揉められたと思ってるの?」
「ゴメンナサイ」

なぜか傾いています(w
あまりにも貸し切り状態なんで礎石の上で戸松も一緒に記念撮影して来ました。
「ちょっと曇ってきちゃいましたね」
「さっきからお日様が出たり隠れたり。でも雨降らないからいいけどね」
「どうでもいいかもしれませんが、見えそうですよ茗子さん」

難波宮での締めは茗子さんの体育座りですよ。
難波宮跡は礎石しかない公園でしたが、当時の宮城を偲ぶ事が出来まして静かでよかったです。
それがこんな町中にひっそり残っている所がいいですねぇ。
京都も見習って欲しいなぁ。大極殿も清涼殿も看板だけじゃ寂しいよぅ!
「ところでリョウセイに聞きたいんだけど?」
「さて、なんでしょうか?」
「どうして私は難波宮でも体育座りをしなければいけないのかしら?」
「そ、それは・・・・・た、体育座りをしている茗子さんがッ!激マブ可愛いからでっすッ!!」(絶叫する余)
「・・・・・・まっ、仕方がないかぁ」
まんざらでもなさそうな茗子さんでした。


大坂城の続きでした。
あまりにも見応えあり過ぎるので二回に続いてしまいましたよ。
ほんとによかったですよ大坂城
素晴らしいお城をスパシーボ!!

二日目はまだまだ続きますよ。
ではでは今宵はここまで。
股ドールで大阪ッ!!