こんばんわ、貴方のリョウセイのお時間です。
すっかり寒くなってきた今日この頃。
今回は札所巡りを兼ねて神奈川県で大山詣でをしてきました。
出掛けたのは14日なので、久しぶりに高速1000円ですが、
首都高経由なので横浜町田まで1000円では逝けませんでしたけどね。
まずは座間にある星谷寺です。
ここは坂東三十三観音の八番札所です。
東名高速横浜町田インターから車で30分ぐらいの場所なのですが、町中のお寺でした。
日曜の朝ですが、他のお客さんは居ません。
今回は紅葉を見るのも目的でしたが、境内の銀杏などはまだ色づいていませんでしたよ。
境内に古めかしい宝篋印塔がありました。
けっこうデカイです。
境内には七不思議があって、これはその一つの銅鐘。
確かなんだかが一つしかないらしい。
あと日本で50番目に古い鐘だそうだ。
東日本では二番目でゲソ。
座間から西に移動です。
向かったのは愛川町にある三増合戦場!
ここで永禄十二年(1569)に武田信玄率いる甲州軍と、北条氏照氏邦の北条軍が戦っているのです。
流石にこの時は老練な信玄が、氏照達を打ち負かしています。
ここへ来るのはン十年ぶりです。
今読み返している伊東潤の北条氏照の影響で。久しぶりに逝きたくなりまして来ました。
久しぶりに来たら、前は石碑がぽちんとあっただけだったのだが、ちょっとした公園ぽくなっていました。
そんで横っちょに武田信玄旗立松史跡入口の案内がありました。
ネットで調べたのですが、どうやらゴルフ場内に三増合戦時の信玄本陣跡があるそうです。
でも結構歩くってか山登りするらしいんで今回はパス。
いずれはチャレンジしたいですね。
合戦時の布陣図がありました。
上が武田で赤いのが北条です。
最初は北条が峠側に布陣していたのですが、後詰が遅れているんでどいちゃうんですねぇ。
でも黙って見過ごせないってんで攻め掛かるんだが、峠を登る様に攻めるんで不利なんですよ。
で、負けちゃう。
北条は好きなんですけどね。やっぱ信玄相手じゃ辛いですな。
三増峠は今ではトンネルで通過出来ちゃうんです。前に来た時はトンネル未完成でしたよ。
でトンネル抜けて津久井湖に逝きました。
津久井湖の横には津久井城があります。
結構な山城ですよ。
津久井湖にはダムがありました。
でも遠くから見ただけ。
あと、逝かなかったけど近くに愛川町資料館ってのがあって、そこに四式戦疾風の風防があるそうです。
畜生!逝けばよかったと劇場後悔!!
津久井城に逝ったら日曜なのでイベントやっていたよ。
おかげで駐車場が満車だったが、運良く一台出て行ったので滑り込む事が出来た。よかた。
昔のお屋敷があった場所が公園になっています。
橋の下はちょっとした堀の様になっていました。
イベントでうどんが100円だったので食べてきました。
ですが余には薄味ってか味しねー!!
そんでもって肝心の城跡は山の上なので今回は登りませんでした。
もう見ただけで登る気が失せたよ。
次の目的地に移動中、人がいっぱいいるパン工場を見つけたので立ち寄ってみました。
丹沢あんぱんが売りみたいですが、中のパン売り場は人でいっぱいです。
実は有名な店なのか?!
混んでいるので外で売っていたあげぱんを買ってきました。
砂糖がまぶしてありますが、意外とさっぱり食べられましたよ。
これはあんぱんも旨かったのだろうか?
実は志田峠にある朝日寺に逝きたかったのですが、道路が工事で通行止めだったので逝けませんでした。
なので次の予定地である清雲寺に来ましたよ。
一応、愛川町の名所らいしのですが、ちょっと寂しいところでした。
でもお寺は風情があってよかったです。
ここの本堂の屋根には三鱗の家紋がありました。
北条ゆかりんなお寺だったのですね。
ほんとうにありがとうございました。
近くに塩川の滝がありました。
落差は30メートルほどある様で見応えはあるんですが、滝の前が狭いので見るアングルが悪いです。
展望台の先まで逝くと滝に近すぎて全景が撮れない。
ここではマイナスイオンをいっぱい浴びてきましたよ。
この辺でお昼です。
蕎麦屋に入ったので蕎麦とあなご天丼のセットを注文しました。
お蕎麦はけっこう太めです。で、味も薄味。
あなご天も薄味でした。健康的なのでしょうね。
醤油を掛けるといい味でした。
今度は勝楽寺です。
ここは山門がすげー立派です。
本当に立派です。
そうしたらどうやら徳川に関係あるお寺らしい。
中門には三ツ葉葵がありましたよ。道理で立派なはずだよ。
この門は徳川のエロい人用らしく閉ざされたままでした。
山の方から下って伊勢原に来ました。
ここには太田道灌のお墓が二カ所あって、こちらは洞昌院の胴塚です。
今更ですが、割と近くに首塚があったんですねぇ。
逝けばよかったなぁ。
お墓は古めかしい石塔です。
手前にある古木の切り株に屋根が付いているのはいいですねぇ。
この隣りには道灌さんと一緒に亡くなられた部下達のお墓もありました。
ちなみに道灌さんは戦国北条氏初代の早雲さんと同い年です。
道灌さんは有能な人だったので、嫉んだ主人に暗殺されちゃうんですよ。
で、最後の言葉が「当方滅亡!」だったそうでゲソ。
道灌亡き後、上杉家は北条に相模を取られちゃいます。
こうして北条五代が関東を席巻するんですねぇ。
道灌さんのお墓に逝く途中で、古い民家が公開されていました。
なんでも戦後どっかの総裁であった鈴木何とかさんの家らしい。
よく解らないが、その人が住んでいた離れがあったよ。
天気のいい日は富士山が見えたそうだ。いいなぁ。
離れの裏には水琴窟があったよ。
わざわざ水を出してくれてありがとうございました。
三宮である比々多神社。
逝ったら七五三でした。
やっぱりようぢょはいいですねぇ。
男の子もいましたが、そっちはアウトオブ眼中!!
坂東三十三観音の六番目札所である飯上山長谷寺に来ました。
こちらはかなりの石段を登った上にありますのでちょっと疲れた。
本堂の前にはずらりと石灯籠が並んでいてすげーです。
飯山観音入り口の横に金剛寺というお寺がありまして、そこに安達藤九郎盛長のお墓がありました。
この人は鎌倉幕府創設期の武将で、源頼朝の旗揚げに貢献した人です。
こんなところにお墓があるとは思いませんでした。
金剛寺の本堂です。
かなりくたびれています。
本堂の裏側にたくさんのお地蔵さんが並べられていてすごかったですよ。
せっかくなんだから、もうちょっと手入れしてちゃんとした観光名所にすればいいと思うよ。
もったいないです。
今回のお宿は飯山温泉にある元湯旅館です。
なんかたぬきにゆかりんな温泉らしい。
26部屋の宿なのでこじんまりとした場所かと思っていましたが、なんか数寄屋造りな感じの部屋でした。
二間ある部屋でツインベットルーム付きでしたよ。なんかすんげー快適です。
おかげで戸松もベットです。今宵は寝かさないぜ!!
ついでに露天風呂も付いていますよ!
どうやら料金そのままで部屋がグレードアップした模様。うれしい誤算だ。
でも露天なので寒い。
部屋にある風呂だが、ちゃんと温泉だったよ。硫黄臭いです。
せっかくなので戸松と一緒に入浴して来ましたぜ。
ああ、酒持ってくればよかったなぁ。そしたら湯船に浸かりながら一献逝けたのに。
晩飯は部屋食です。
たにしの味噌煮、くるみの豆腐とお造り。
鯖の柿の葉寿司とかです。
たにしの味噌煮が酒の肴によかったですね。
メインは猪鍋でした。肉の華がきれいでしたが、猪の肉は少々硬いですね。
味付けは味噌味であっさりでしたよ。きのこが美味しかったです。
食後にフロント前で餅つきがありましたよ。
宿泊客が替わりばんこで突くのですが、余は腰痛なのでパス。
せっかくのお餅ですが、夕食を腹いっぱい食べた後なので餅も食べませんでした。
ちょっと勿体なかったかなぁ?
餅つきを見ていて思ったんですが、これ餅をひっくり返す人は命がけだなぁ。
なんせ餅つくのはよっぱらいだぜ。ふらふらしていて危なっかしいよ。
なんかそればっか気になってしまいました。
こんなデンジャラスなイベントをこなす従業員に脱衣!!
この後は、大浴場で欲情してきました。
露天風呂が広くてよかったです。
てな訳で飯山温泉での一夜は更けていきます。
では続きは後ほど。
股ドール!!