戸松、西へ!! その5 屈辱の地!!師匠の墓参り あとクライマックスへ!!

こんばんわ、貴方のリョウセイです。

さて、三日目後半戦です。
もう三日目だと足腰ガタガタです。
なので一つでも二つでもバスに乗って移動ですよ。

嵯峨釈迦堂前から二つ先の停留所は大覚寺です。
ここはよく時代劇の撮影で使われる大名屋敷になる場所です。
来るのは5年ぶりぐらいですかな。
大覚寺の元は平安時代に建立された離宮嵯峨院です。

流石に天皇や皇族が住職になるのですから宸殿があります。
こちらは江戸時代に造られた寝殿造りの建物ですよ。
造りが御所みたいなのでとっても好きな建物です。
これなら源氏物語のロケで使えますね。

戸松、宸殿に立つ!
ここも人がいない事はないのですが、うまく見計らって露出プレイを決行でございます。
せっかく来たんだから、やらなきゃ損損!!
次に来た時はドールで挑戦か?!

宸殿や御影堂と正寝殿を結ぶ回廊が、これまた風情ある凝った造りです。
ここも源氏物語のワンシーンで出てきそうな場所ですね。

宸殿前の庭は白砂でみごとです。まるで御所の南庭みたいです。
京都御所もすばらしいですが、大覚寺もまるで御所みたいでとってもきれいで好きです。
でも、流石にこの庭は歩けないんですよ。
まあ、他の人が歩いているとイイ写真が撮れないから、誰も居ない方がいいんですけどね。

五大堂の東側には広廂があって、大沢池が一望出来ます。
彼方には嵯峨野の山々も見えますよ。
ここで月見しながら酒宴をしたらすっごく楽しいでしょうね。
それかドールの撮影(w

流石にドールの撮影は出来ませんので戸松と澪たんのツーショットを撮って来ましたよ。
今回の旅行でツーショットを撮るのは初めてです。ファンタジーなのですよ。
まさか大沢池をバックに戸松と澪たんを撮るとは思いませんでした。
人間、TPOを忘れてはイケマセン。
気が付けば、余の後ろにはオバサマ方が居りましたよ・・・・

寝殿に逝くと豪勢なお部屋がありました。
ここは桃山時代の書院造りな建物で、狩野山楽の牡丹図や渡辺始興の野兎図などがあります。
それにしても金ぴか襖ですげー部屋だ。
アマガミの押入プラネタリュウムも真っ青だぜ。

実際、この部屋に来るまでさっぱり忘れていました。
ここ大覚寺南朝にとって南北合一がなされた場所だったんですね。
つまり南朝が憎き義満にだまされちゃった屈辱の地だったんです。
合一後は持明院統大覚寺統と交互に天皇になるって約束だったのに、反故にされちゃうんですよ。
流石は天皇になろうとした男、足利義満ですね。
でもそんな恥辱の場所を忘れているなんて、愚かな余でした。

大覚寺の後は再びバスに乗って市内に戻ってきました。
降りたのは千本丸太町で丸太町通千本通交差点で朝堂院跡の標識を見つけました。
余が愛用する新修国語総覧ですと八省院となっている建物です。
大内里の正庁にあたり大嘗会などの大礼が行われたそうです。
ちなみに大極殿がその正殿です。

交差点の北西にある小さな公園が大極殿の跡地です。
ほんとうに小さな公園でして、この石碑の下におばあちゃんが二人居てお話していました。
なので戸松が出せませんでしたよ。
ここはン十年前にも来た事アリマス。

田中町平安京内裏内部回廊跡を見つけました。
ここは清涼殿跡にイクゥ途中で間違えて一つ手前の道に入ったら偶然ありました。
よく見ると石碑の後ろに当時の回廊跡がコンクリートで示されています。
それだけなんですが、けっこう感動しました。

で、ひとつ北の下立売通に逝くと民家の軒先に清涼殿跡の標識を見つけました。
ここに来たかったんですねぇ。
平安時代の清涼殿がここにあったんだなぁ・・・・
なんか「やり遂げたよっ!!」って気分になりました。
余が都を奪還した暁には、内裏を復興してここでタマ姉やささらさん達とウハウハなハーレムエンドをするんだッ!!
「リョウセイさん、私の出番は・・・?」
「戸松は永遠の恋人さ・・・・」
「・・・・・」

「で、なんで私が弘徽殿なんだよぉ!弘徽殿女御って言ったら源氏物語でも悪役おばちゃんじゃないかぁ!!」
実は清涼殿の標識がある家の反対側に弘徽殿跡の看板がある。こちらは石柱もあるので、ちょっとマシか?
「いや、なんか澪たんと弘徽殿のイメージが重なっちゃったんだ・・・・」
「リョウセイ、殺す」

更に千本通を北上して今出川通交差点に出るとすぐ北東に般舟院陵がある。
ここはいろいろな皇族方のお墓がある場所なんだが、
宮内庁の標識には乗っていないが式子内親王のお墓がるという事で逝ってきた。
式子内親王は源平期の後白河天皇の皇女で、歌詠みとして有名な方です。
藤原定家とも交流があり新古今和歌集の恋の歌で有名です。
なにを隠そう余の歌の心の師匠こそこの式子内親王様なのです。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」
有名な小倉百人一首の第八十九首目に記載されている歌でして
新古今和歌集 第十一巻 1034首目に収録されているこの歌が余の永遠の憧れなのですよ。
この歌を知ったのは高校の多感な時期でしたねぇ。
前は平家の公達との恋の歌とされていましたが、
近年では思い人は法然だったらしいです。
それはそうと式子内親王のお墓といわれている石塔は、すみっこの雑木林の中にひっそりと立っていました。
ここが師匠のお墓だと思うと、流石に戸松の出番もありません。

今出川大宮のバス停には西陣の石碑がありましたよ。
まあ、正確にはこの近辺が西陣という事になりますね。
いわゆる応仁の乱の舞台ですね。
花の乱萬屋錦之介山名宗全はいい人過ぎた玄白。

大宮通今出川通から南下していると、京の町屋があったので入ってみました。
よく言うウナギの寝床ってやつです。
間口は狭いが奥行きはあります。
なんか着物屋さんみたいですが、喫茶コーナーもあります。
二階も上がれたので見学してきました。
古い家とかは好きですねぇ。

で、喫茶コーナーで売っていた西陣アイスもなかを購入。
金魚すくいで使う最中にあんこが掛かったバニラアイスが挟まっていました。
思えばこれがこの日の昼飯でしたね。すうぃーつ万歳!

更に南下して梨木町付近に名和公園という場所があって、そこには名和長年公遺蹟があります。
ここで太平記の登場人物である三木一草の一人である名和長年が戦死したのですよ。
ちなみにここは平安時代の一条院があった場所でした。

一条通を歩いていると、こんな標柱を発見!
聚楽武家地 上杉景勝屋敷跡
まるっきり去年の大河ドラマ天地人効果だっぜ!!まだ石が真新しいぜよ!!

一条通を東に逝くと、一条戻り橋に出ます。
近年の阿倍晴明ブームの所為か、橋の下がキレイに整備されていました。
しかし、しっかりホームレスの非常ハウスになっていました。
いや、もしかしてあれが式神だったのかも?

晴明神社です。
老若女女でいっぱいでした。
うらやましいです。
余も神社造ってもらっておにゃのこにたくさんお参りに来て欲しいです。
「リョウセイ神社」
・・・・・・なんかフタナリの神社みたい?!そんなんいやぁ!!

境内で戸松出したかったんだけど、人目がいっぱいで断念。
なので鳥居の手前にあったミニ戻り橋で隠れて撮影しました。
ああ、思いっきり不審者な行動だったよぉ!!

とある場所にバスで移動中に河原町通にある医大病院前停留所で、ある意味探していたポスターを発見!!
有名なけいおん国勢調査ポスターですよ。
なので速攻で写真撮影。
澪たんを出したかったが、次のバスが見えているので速やかに撤収。
なお周囲にはバス待ちのお客さんがいっぱいです。流石に澪たん出したらやばかっただろうな。

河原町今出川で降りて寺町通を北上すると十念寺がある。
なんとここには余が尊敬する万人恐怖、足利幕府六代目征夷大将軍足利義教公のお墓があるんだ!!
右側の墓石が義教公のお墓だそうだ。
ここは標識もナニもないのでお寺の方に聞かないと、まず解りません。
そもそもお寺も門が閉まっているので入っていいのか悩みました。
でも「勇気を持って前へ一歩!」チャイムを鳴らして見学していいか訪ねたところ、快く承知してもらえました。
おかげで案内してもらえたので無事義教公のお墓と対面する事が出来ました。
十念寺の方へ、その節はありがとうございました。
足利義教公は比叡山を焼き討ちしたり、鎌倉公方を滅ぼしたりと凄腕の政治家です。
義教公が暗殺されずに長生きしたら、足利幕府の治世も盤石になったに相違ありませんな。
魔将軍は面白いです。

実は十念寺に逝く途中に本満寺がありまして、
なんと尼子家家臣、山中鹿之助幸盛(やまなかしかのすけゆきもり・鹿介)の墓がありました。
あの尼子十勇士ですよ。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ!!」ですよっ!!
ファミコン信長の野望で知ったキャラですが、知力も武力も高い軍師です。
毛利との戦で殺されたのだからお墓はあっちにあると思っていたのですが、
京都にもお墓があったなんて知りませんでしたよ。ほんと偶然だよ。
余的イメージボイスは今は亡き鈴置洋孝さんが似合うかも。

すぐ近くには枡形通という商店街がありました。
京都はあちこちにこんな感じの商店街があって羨ましいですね。
こんなアーケードをぶらぶら見て歩くのも好きなんですよ。
で、ついつい買い物しちゃうんですねぇ。
なのでこの日もここで晩飯をいろいろと買い込んでしまいました。

河原町通を南下して河原町御池で下車。三条付近を高瀬川に沿って歩いて見ました。
高瀬川沿いにあったのは武市瑞山先生寓居跡です。
ついに余も大河ドラマ龍馬伝ツアーに突入でげすよ。
実は今年までは坂本龍馬はあまり好きではありませんでした。
どっちかって言うと余は佐幕派寄りです。
ってか余の戦の師匠は尊敬する土方歳三様です。
ですが流行とは怖い物。
今まで余り歩いた事がなかった三条の高瀬川付近をぶらぶらしてきました。
この辺りを歩くと幕末勤皇派の聖地巡礼になってしまいますね。
なのでいろいろ見てきましたよ。
でも龍馬伝武市半平太はよかったなぁ。
岡田以蔵がちょっとモーホーっぽくてナウなキャスティングだったな。
でもでもベストキャスティングはやっぱり高杉晋作だよね。あれははまり役だッ!!

高瀬川には大村益次郎佐久間象山遭難の碑があった。
佐久間象山はよく知らんが、大村益次郎は確か花神だったよね。
やっぱり明治になって暗殺されちゃった人だった筈。

土方歳三様というと新撰組
新撰組と言えば池田屋騒動!
池田屋と言えば、昔に来た時はパチンコ屋だったのに、今は池田屋が復活していたYO!!
よりによって居酒屋だぜ!
気分良く酒呑んでると、きっと新撰組に襲われちゃうんだぜッ!!

池田屋からひとつ南の通りに龍馬が利用した酢屋があります。
この二階を龍馬が使っていたそうです。
今はギャラリーになっていて一般公開していたので見てきたのですが、
リホームされているので当時の雰囲気は残っていないそうです。
龍馬が使った部屋もわずかに畳二畳の狭い空間があるのみ。
それだけで500円はちょっとぼったくりですね。
あの畳二畳は酷いですよ。
おまけに二階は暑い。

河原町通には坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地があります。
かつての近江屋さんは、今はコンビニです。
人通りが多いので写真撮影も大変でした。
いよいよ来月には大河の方もクライマックスですね。
まさかコンビニの二階で暗殺はされまい。

やっとの事でホテルに帰ってきました。
今日もさんざん歩いてので足が棒の様です。ボークスではありません。
さっさとシャワー浴びて晩酌しながら飯です。
今日の晩飯は枡形通の寿司屋さんで買った豪勢な特上鯖寿司ですよ!
鯖寿司だけでねんどろいどが一体買えます!
あと鱧の天ぷらとゆばという京都っぽい飯ですぜ。
ちなみに酒は持参した倉岳がなくなったので近くのタバコ屋のおばちゃんに教えて貰った酒屋で買った黒海童という焼酎。
S600から移動した君に届けの再放送RAMが再生出来なかったので太平記のDVDを見ながら飯だぜ。

流石、特上鯖寿司だっぜ!
高いだけあったうまさだよ。
半身まるまる使った肉厚の鯖が脂がのっていて旨いです。
でもこれ二人前なので半分だけ食べて、残りは翌日の朝食となりました。
鱧の天ぷらも弾力があって美味しかったですね。
次は鱧寿司にチャレンジしてみたいです。
ゆばもプリンみたいで不思議な感じでした。これも美味しかったですよ。
今回の旅行はけっこう食事が豪勢でしたかな。
たまには贅沢もいいですよね。


ではこんなそんなで三日目の京都はこれまで。
いよいよ次回で戸松との修学旅行も最期か?!

では股ドール!!