奥羽南朝戦記参 顕家様とナギ様に会いに行くぅ!!

こんばんわ、貴方のリョウセイです。

今回で山形宮城旅行もお終いです。

山形から宮城に移動した余は仙台で一夜を明かした。
やはり清潔なベットは気持ちいい。
朝、目覚めた時、隣でまどろむみゆきさんの寝顔は最高だった。



「おはようみゆきさん。昨夜は情熱的だったよ」
「おはようございます・・・なんだか少々気恥ずかしいですね・・・・」
旅行三日目の朝はちょっと曇り気味だ。
天気予報じゃ今日は雨らしい。

ホテルをチェックアウトした後は、仙台市の東にある高森山公園に向かった。
市街地を抜けて郊外にあるちょっと高い山が高森山公園である。
ここは南北朝時代には、岩切城と呼ばれたお城跡である。
建武の新政によって陸奥守となった北畠顕家国府がある多賀城に入城したとなっているが、
当時の多賀城は荒廃して使えなかったそうで岩切城に入って政務を執ったと言われているのだ。
なので顕家様ゆかりの岩切城に来てみたかったのであるよ。
ところでみゆきさん、どこにいるのか解りませんよ。

一見ただの山である。
画像の手前は大きな谷になっている。
右側の山頂が本曲輪の跡である。
これでも足で登ると結構高い。

本曲輪に登る散策路。
城跡は公園化に伴い遊歩道が整備されているので楽に見物出来る。
坂のキツささえなければ・・・・
左側には出丸の様な区画があり、堀割で分割されている。
正面に本曲輪と連絡している曲輪がある。
う〜ん、いかにも中世の山城っぽい感じで気分が乗ってくるよ。

本曲輪に辿り着く。
当時はここに主殿があったのだろう。
ここで北畠顕家が政務を執っていたと思うと感慨深い。
ここは桜の名所でもあるのだが、流石に桜は殆ど散っていたよ。
敷き詰められた花びらがピンクの絨毯みたいでキレイです。
やっぱりピンクはいらない子ではありませんね。

本曲輪から北側の曲輪を見る。
手前には堀割もありお城らしさがよく解る。

咲き残っていた桜があったので、高良みゆきさんと記念撮影をしていたんだが、
誰もいなかったハズなのに、振り向いたらおっさんが居たよ!!
おっさん余を見てヤバイ人と思ったのか、そそくさとあっちに逝ってしまったぜよ。
おっさんにはみゆきさんの可愛さが解らなかったらしい。無念。

東側の腰曲輪から本曲輪を見る。
どうやらここが虎口になっていたようだ。
便所があったので気づかなかったよ。
ちなみに岩切城は高森城とも呼んだらしいぞ。
ところで顕家様が国府を霊山に移した後北朝側に占拠されていたと思われる岩切城ですが、
正平六年北畠顕信により奪還されたらしい。
つまり顕信も岩切城に来た事があるらしいぞ。
なのでここは北畠兄弟ゆかりの城であるのだ。

本曲輪から東側の斜面にしだれ桜が咲いていてきれいだったよ。
この辺りで雨が降り出してきたので、みゆきさんは撤退。
傘を持っていなかったのでヤバイっす。

余が居る部分は西の郭と呼ばれている場所で、東側には更に東の郭と呼ばれている場所がある。
画像の奥がそうなんだが雨が降ってきたので向こう側へ行くのは断念したよ。
両方の郭を見て歩くには、かなりの時間が必要です。広いっす。
でもがんばって行けばよかったなぁと思います。
どうやら東の郭には井戸や土橋があったらしいです。
またイクゥ!!しかないな。

岩切城から更に東に移動すると、嘗ての陸奥国国府があった多賀城があります。
ここには松尾芭蕉もおもわず涙した、日本三古碑である壺の碑があります。

壺の碑はこんな感じに収納されています。
碑文によれば造られたのは天平宝字6年(762年)となっています。
すごいですね、今から1300年ぐらい昔ですよ。当時のメモリーです。
なお芭蕉さんが来た時は、野ざらしの放置プレイだったようです。
覆堂は明治8年に造られたそうです。

政庁跡に続く古代の道が再現されています。
多賀城へ初めて来たのは、もう二十年ぐらい前になりますかねぇ。
来たのはこれで三回目です。
この辺は前に来た時と替わらないですね。
石段があるだけですが、それが古代の風を感じさせてくれます。
奈良や大宰府を思い出しますね。

政庁跡に行く途中に、政庁の模型があります。
それを見て余は閃いた!
「みゆきさんと一緒に撮ればディオラマだぜ!!」
やってみたら「多賀城政庁に巨大美少女現る!!」になってしまいました(w
「・・・・あ〜ん、濡れてしまいますぅ・・・・」
「ごめんねみゆきさん。もうぐっしょりだね・・・・」

多賀城政庁跡に来ました。
今は礎石が復元されているだけです。
礎石があるだけ平安京よりはマシですね。
でも大極殿が復元された平城京がうらやましい?!

政庁の礎石の後ろには後村上天皇の碑があります。
父君はまだ義良親王の頃に陸奥太守として北畠顕家様と共に多賀城に来た事があったのでした。
当時の事ですから天皇の子が、陸奥にまで来るのは大変だったと思います。
後村上天皇は当時まだ6歳だったんですよ。

南門跡です。
周囲には当時の築地を模した土塁が再現されています。
桜も咲いていますが、こちらももう終わりです。
左側にあるのがみゆきさんが現れた政庁復元模型ですよ。

政庁から東にある作貫地区役所跡に来ました。
こちらへは初めて訪れました。
今で言う各省の省庁があった場所ですね。
近くに見事な木蓮が咲いていたので、みゆきさんが濡れない様に花びらを頭に翳してみました。
ですがちょっとお間抜けですね。

今度は政庁の北側、六月坂地区役所跡です。
こっちは桜が結構咲いていてきれいです。
こっちも初めて(ファンタジー)ですよ。
役所跡なので、穴ぼこしかありませんが。
ですが、お花はとってもきれい。

東門跡に来ました。
こちらは門柱の根本だけが復元されています。
これだけでも、なにもないより楽しいです。
ここから東には古代の道も復元されていました。

東門からすぐ側の陸奥総社宮です。
ここには陸上自衛隊多賀城駐屯地の第二十二普通科連隊が
師団対抗駅伝大会で優勝した時の優勝額が奉納されていました。

多賀城廃寺跡に来てみました。
住宅地にありますが駐車場もあって楽に駐車出来ましたが、停まっている車は廃寺跡とは関係なさそうな車ばかり。
近所の駐車場と化している。
ここも見事な跡しか残っていないです。
真ん中の丸い穴が塔があった場所で中心の柱を立てた礎石です。

さて、これから余はナギ様に会いに行きます!
画像は、かんなぎの1話と3話で出てきた仁達が通う高校です。
この前日に涼宮ハルヒ関連の学校にオタクが不法侵入したというニュースを見たので、
ここも警戒しているかと思ったのですが、かんなぎブームが去ったおかげでアニオタの姿は皆無でした。
助かりましたよ。
でも付近に駐車出来る場所がなくて困った。

ここまで来れば当然来ました、聖地鼻櫛神社(w
ここでも誰にも会わずに済みました。
やはり非処女が影響しているのでしょうか?
アニオタは恐ろしい物だ(すでに人類ではない)

1話と8話に出た石段。
なんの変哲もない石段だが、アニメに映っただけでそこは聖なる遺跡と化す(w
端から見ると必死になってローアングルから石段を撮影しているおかしな人に見える事だろう。

社殿正面に続く石段。
2話では反転して使われ、8話ではそのまま使われています。

社殿正面。
1話では取り壊されていますが、当然残っています。
天気の所為か社の赤が目立ちます。

1話2話では階段脇の狛犬が描かれていません。どうしてでしょう?
単純に書くのが面倒だったのでしょうね?

社殿と奥殿を繋ぐ渡殿。
1話では仁くんの背景として映っていましたね。

1話で映った境内の様子。
御神木は左の木がある場所付近と思われ。
余も御神木があったらそれでナギ様を造りたかったYO!!

折角かんなぎ聖地に来たのだから、みゆきさんと記念撮影。
後ろの酒パックは余が置いたのではないですよ。
わざわざみゆきさんに登場して貰っておいて何ですが、
ここはねんどろいどのナギ様で撮影したかったなぁ・・・
ちょっと密林でねんどろいどナギを探したら8800円だった!
オクだと5000円からッ!!た、高いっす!!

境内からは海が見えました。
天気が悪いので荒れています。
晴れていたらきれいだっただろうなぁ。

12話で出てきた神薙駅(w
この時は大雨でしたので撮影が大変でした。
駅舎前でシャッター切っていると、周囲の人が奇異の眼差しで見るのです。

12話で仁とざんげちゃんが話をしているベンチなのですが、ここだけアングルを間違えたよ。
なお今回の聖地撮影では携帯で構図を確認しながら行ったのですが、
この時は雨で確認を怠りました。
メモったスケッチだけではベンチの向きを間違えました。

2話の踏切。
駅舎の東側にありました。
アニメと同じに、未だに標識が曲がっていました。
ひろとクリニックにはよい宣伝になりますね。

同じ踏切の向かい側。
やはり2話で登場。

駅です。
西側から撮影。
ほとんどアニメと同じです。
この近辺には聖地が山ほどあるのですが、雨脚が強くなってきたのでこれ以上の聖地巡礼は諦めました。
なのでかんなぎの聖地を去る。

再び仙台市内に戻って来ました。
ここは榴岡公園です。
文治5年の源頼朝率いる鎌倉勢が奥州を攻めた際、奥州勢の総大将藤原泰衡が本陣を置いた場所です。
明治になって陸軍の第二師団第四連隊が置かれました。
画像は現在は仙台市歴史民俗資料館となっています旧陸軍歩兵第四連隊兵舎です。
ここへは以前来ようと思いましたが、近くで楽天の試合があって榴岡公園の駐車場が満杯で寄れませんでした。
なので今回は満を期しての再訪です。

説明板です。
こうしてみると各地には旧軍の遺物が結構残っているもんですね。

反対側から兵舎を見る。
何度も言いますが古い木像建築を見ると中学の校舎を思い出しますね。
あのギシギシアンアンがよかった?!

内部には兵舎当時のコーナーもありました。

が、てっきり中はこんな感じで残っているのかと思いきや、兵舎コーナーは僅かここだけでした。
残りは全部普通の民俗資料ばかり。
ちょっと勿体ない。
せめて内装ぐらいは当時のままでやって欲しかったです。

反対側。
こんな感じの板張りの壁を残して欲しかったですね。
なのでレトロなのはこの一画だけでした。

公園内にある「歩兵第四連隊之跡」碑。
園内には旧軍関連の石碑があちこちにありました。

碑文は仙台生まれの陸軍大将今村均による。
今村均のお墓は市内の輪王寺にあります。今回は行きませんでしたけどね。

隣りにあった陸軍省所轄地の標柱。
これは確か習志野阿見にも残っていた様な?
今でも意外な所に残っている様です。

雨の仙台を去り南下して柴田町に入る。
ここには山本周五郎歴史小説「樅ノ木は残った」で有名な原田甲斐のお城である船岡城跡があります。
ドラマは里見浩太郎さんの原田甲斐を見た事があります。
ついこの間は田村正和で放送されましたね。録画しましたがまだ見ていないですけど。
ところで船岡城ですが、なんと正平六年北畠顕信が陣を置いていたそうです。
さっき知りましたよ!
知らない内に聖地巡礼していたんですね。

船岡城跡には樅ノ木も残っています。
白石川沿いの高台なので国道4号からも見えます。
しかし城跡としての船岡城はあまり見所がないですかな。
やっぱ罪人のお城なので壊されちゃったのでしょうね?
なお原田甲斐のお墓は登米にあるそうです。今度チャレンジ!!

まだ帰るにはちょっと時間があるので、足湯に浸かろうと思い蔵王方面にある青根温泉に行く事にしました。
ナビで検索したら川崎町の役場付近が表示され、すぐ側に川崎城なるものが表示されていたので行ってみましたよ。
ところで川崎と言うと皮先くんを思い出すなぁ。もうブルーレイなんだろうな。
川崎城は役場裏の山にあって敷地の殆どが小学校になっています。
斜面の一部が公園になっていて、標識もありましたのでなんとか城跡と認識出来ました。
しかし川崎城は城というよりも砦ぐらいなレベルだった様です。
なお前川城とも呼ぶらしい。

川崎城跡にある謎の記念碑。
一見なにかの砲弾にも見えるが、どう見ても戦艦大和の主砲弾よりもデカイっす!!
もしかして播磨級戦艦の主砲弾かっ?!

なんとか青根温泉まで辿り着けました。
共同浴場前には古賀政男記念館がありましたが、すでに閉館時間でした。
青根温泉は古賀政男ゆかりんな場所だったのでしょう。

国道沿いに足湯がありましたが、清掃直後なのでヌルポでした。
流石に寒いので早々に撤退。

ちょっと細道を入ると、もう一つの足湯「朝日の湯」があります。
こちらはいい湯加減でしたよ。

みゆきさんと一緒に足湯に入る。
現役JKと混浴だぁ!!(足だけ)
「いや〜、今回はイッパイみゆきさんと遊んじゃったね。とっても楽しかったよ」
「こちらこそ、どういたしまして。私も楽しかったですよ」
「また一緒に温行こうね」
「はい、よろこんで」

足湯に浸かりながら、のんびり過ごす余。
貸し切り状態なので寝っ転がりながら足を浸けたりしちゃいました。
なお朝日の湯なのですから、きっと早朝だと朝日が拝めるのでしょうね。
いい景色です。
ちょっとよけいな物が映っていたので削除しましたけど。
うつくしい御身のあんよは本邦初後悔か?!

最後に東北自動車道上りの国見SAで夕飯に牛タン定食を食べました。
昨日も仙台で牛タン喰ったのにまたかよ?!
折角なので食べ比べてみましたが、やはり利久の方が肉が軟らかいです。
ですがこちらはむぎとろ付きで、ごはんお代わり自由で値段が一緒でした。
こちらも悪くはないですよ。

この後はひたすら帰りましたが、この日は金曜なので高速を降りたのは24時過ぎです。
土曜になったので高速料金は1000円で済みました。
なのでお財布にとっても優しかったです。自民党に感謝!!

という事で、今年のGWは山形宮城の城跡と聖地巡りをしてきましたよ。
やっぱり旅は楽しいですね。
来年のGWは三重の北畠神社に行きたいですねぇ。
その時は誰と行く事になるでしょうか?
「リョウセイさん・・・・うるうる・・・・・」
「べ、別に、みゆきさんが嫌いになった訳じゃないんだからね!!」

長いレポにつき合ってくれたみなさんには感謝!
では股ね。アディオス、カルメーラ!!