みちのく紀行その3 盛岡で冷麺喰ってスーパースターに会いに行く!!

こんばんわ、貴方のリョウセイじゃきにぃ。

さて、三日目もそれなりに早起きしたが、寒いので今回は朝風呂はしませんでした。
温泉行って朝風呂しなかったのは初めての事です。
ってか寒すぎると朝風呂どころじゃないですね。



朝食は目玉焼きと鮭です。
これまた朝飯の定番ですね。
今朝も食事はしっかり取りました。
そして名残惜しいが憧れの蟹場温泉を猿のでした。

三日目は少し曇り気味です。
おかげで今日も寒いですよ。
しかしこんなに雪があるとは思いませんでした。
東北の春はまだまだ遠いです。

帰り際、道端にふきのとうが咲いていました。
なので収穫してきましたよ。
獲物は帰宅後に天ぷらとしておいしく頂きました。
東北の春の味がしまして酒がすすみました。

来た道を東に戻り盛岡に出る。
盛岡観光最初の立ち寄り地点は三ツ石神社です。
セーラームーンの中の人を祀っている神社ではありませんよ。
昔この地で暴れていた鬼をこの石に縛り付けました。
そしたらもう暴れないと約束して証にこの石に手形を残したそうです。
石にある手形はどこにあるか確認出来ませんでしたが、これが岩手の地名の起こりだそうです。

社側から見るとこんな感じです。
高さが6メートルぐらいあるのででかくて迫力ありますよ。
昔ムーというミステリー雑誌で知ったミステリースポットでした。

割と近くにある報恩寺の山門。
かなり立派である。
年代物かと思ったのですが、昭和の新築だそうです。
この山門が建つまでは奥に映っているかつて盛岡城の門だった中門がここにあったらしい。

報恩寺に来た理由は、ここもミステリースポットだからです。
それがこの五百羅漢像の中にある二つの像。
遠くを眺めている姿をしている像が何故かマルコ・ポーロで、
その右側がフビライ・ハンなのです。
何故この二人がいるのかが、ここのミステリーなのですよ。

この羅漢堂の中はすごいです。
三面に五百羅漢が並んでいて見る者を圧倒します。

さてさて、盛岡と言えばチョー有名なのは裁判所前の石割桜たんですよ。
流石に有名所なので観光バスもいましたが、当然ながらここも開花前です。
ここへ来たのは三度目ですが、いやぁ〜一度でいいから桜が咲いている時に来たいものですなぁ!

裏から激写!
なにげにちょっとエロい感じですぁ。
こう見ると石ってか岩ですね、それを割って木が生えているのがよく解りますね。
石割桜を見るには、裁判所には駐車場がないので近くの県営駐車場に停めましたが、
別の場所にあった民間駐車場の方が料金安いじゃんかよ!!

お次は石川啄木で有名な盛岡城です。
盛岡城は石垣で有名です。
何故って石垣しか残っていないからです。
ですが、東北のお城にしては石垣が立派です。
写真は三の丸北西の石垣なのですが、南西の石垣が絵になる場所です。今回は行かなかったけどね。
ここも桜祭りなのですが、咲いていないので人影はまばらです。

三の丸には桜山神社があって本殿の裏には烏帽子岩と呼ばれる巨石があります。
これは後ろからの画像です。
これもデカイのですが、他にも三の丸には石割けやきという大きな岩を割って生えているけやきもあります。
盛岡城には巨石があちこちにあるそうです。

二の丸から本丸へは赤い橋を渡ります。
ここも石垣が見事ですね。
ちなみにすっかり忘れていましたが二の丸には石川啄木の歌碑があったのです。
行けばよかったなぁ・・・

本丸です。
この台座には南部中尉の銅像があったのですが、戦時中の抽出で撤去されちゃったのでした。
南部中尉はかつての城主であった南部家の当主でしたが日露戦争で24歳で戦死されました。
最近になって原型の石膏が見つかったそうなので、いずれ再建されるかもしれませんね。

三の丸台所屋敷跡から見た二の丸と本丸の石垣。
しだれ桜があるのですが、咲いていないのが残念です。
なお天気も崩れてきて小雨が降っています。

三の丸東側には水堀があるのですが、鶴が池になっていて堀っぽくないです。
これじゃただの公園にしか見えません。
まあ、無料の公園なのですが。

盛岡城から東に移動して中津川を渡ると、嘗ての岩手銀行本店だった豪華な煉瓦造りの建物があります。
余はこの様な明治大正浪漫な建物も好きであります。
いずれはこんな浪漫あるレトロな建物に住みたいなぁとも思っております。

こちらは岩手銀行本店の側にある盛岡信金本店です。
こちらも豪華な石造りな洋物建築です。

中津川に沿う道を北上すると紺屋町番屋と呼ばれる消防小屋があります。
こちらも明治頃の古い建築で、板張りなところが余の中学校舎を連想ゲーム。
やはり空襲を受けなかった地方の都市には古い建築物がイッパイ残っていてイイ観光資源で羨ましいですね。

この日の昼食は、るるぶ岩手でチェックした「肉の米内」で盛岡冷麺ですよ。
正直言って冷麺を食べるにゃ寒い日でしたが、焼き肉屋なので店内は暖かいので冷麺をおいしく頂けました。
なお冷麺は前日の稲庭うどんよりも麺が硬く食べるのが疲れました。
辛いヤツを別にしてもらったので、辛さは余自らが調整しましたが、ちょっと多めに入れたらすごく辛かったです。
やっぱり本場で食べる冷麺はおいしかったですよ。

車に戻って東南東に移動して盛岡八幡宮に行く。
そこで余は盛岡が生んだスーパースター米内光政海軍大将に会ってきたよ!
米内光政は海軍軍人で日本海軍最後の海軍大臣。太平洋戦争終結に多大な尽力を尽くしたエライ人です。
銅像内閣総理大臣当時のモーニング姿です。
境内の隅っこにひっそりと建っていますので、あまり訪れる人はいなさそうです。

米内光政の銅像については、阿川弘之の小説「米内光政」で存在を知りました。
米内さんに会いに来るのはこれで二度目ですよ。
また会えてとてもうれしいです。
ちなみに肉の米内とは親戚なのかは不明です。

米内さんに別れを告げて盛岡から南下。
途中で道の駅紫波にて休憩。
紫波付近はりんごなどフルーツが特産です。
なのでぶどう味のソフトクリームにチャレンジしてみました。
味は甘酸っぱい青春な味です。まるでヨーグルトみたいでしたよ。
ところで寒い日にソフトクリームは自爆ですね。
外で喰うのが寒かったです。

紫波町には城山公園があります。
嘗ての高水寺城です。
こんな感じで小山全体が中世の城跡となっています。

ここも桜祭りなのですが、やはり人気はないです。
まあ久保田城でもそうですが、これが桜が咲いていると混んじゃって見学どころじゃありません。
そう思うと咲いていないので空いていてラッキーと思わねばいかないのか?
この通り、桜が咲いていない本曲輪跡には小さな社しかなく人がいませんです。
でもおかげでゆっくり見物出来て古城らしさを感じられました。
高水寺城は、南北朝初期に足利尊氏の代官である斯波家長奥州管領として赴任した時、居住した場所。
その後斯波氏は戦国末期に南部氏に滅ぼされたようだ。

周囲の曲輪には何故かSLが置いてある。
・・・・SLでいいんだろうな?

客車は中に入れる様になっていて、観光客の休憩所となっている。
その為、結構荒れています。
しかしレトロな車両ですね。
ストーブ付きの客車なんて初めて乗ったよ。

機関車も中に入れます。
運転席ですが、こちらも荒らされています。
鉄道ファンが見たら、手当たり次第部品を外しちゃいそうですね。
この先大丈夫か?!

高水寺城から見た下界(w
東北新幹線国道4号線が見えますね。
ここへも、以前ここからの景色が見たくて来た事がありましたので、今回で二度目の登城です。

高水寺城を見た後は東北道紫波インターから高速に乗って帰路に着きました。
夕食は磐越の阿武隈高原SAで生姜焼き定食を食べました。
ですがこの肉けっこう堅めでした。

帰りの途中で余の愛車「本田はおにぎり号」の走行距離が77777キロになりましたよ。
去年の青森行く時に66666キロを記録したのだから、一年ちょっと前で11111キロ走った事になりますね。
今年は9年目の車検なのでたいぶくたびれてきた「本田はおにぎり号」ですが、まだまだ走りますよ!
次の温泉はドコに行こうかしら?
GWはまた休めそうになったので、ドルパ終わったら出掛けようと思います。

今回は三回に渡って秋田温泉旅行を紹介いたしましたが烏賊がでしたか?
少しでも当地の魅力をお伝え出来たのならば余の喜びとなるものです。
では今宵はこれまで。
股ね。