あさくは人を思うものかは

こんばんわ、リョウセイです。
今回は福島温泉旅行の第二弾です。
実はこの記事は間違って消してしまったので書き直しています。
かなりショックでした。
なので記憶を辿りながら書き直しましたよ・・・

翌朝。
温泉に来ると早起きしてしまう悲しい躯になりました。
一風呂浴びた後は朝食までかなり時間があるので、散歩に出掛けました。
画面右側が泊まった宿「松渓苑」です。
左側が岳温泉のシンボル温泉神社
松渓苑は岳温泉の一番上にあるんですねぇ。

坂道を下ると嘗て泊まった事がある「きらり」がありました。
ここへは何度か泊まりましたが、いい宿です。
ビューホテルの券が使えなくなったので来なくなりましたが、また泊まりたいですね。

岳温泉の入り口。
ここから登り坂に沿って両側に温泉宿が建ち並んでいるメインストリートです。
ちなみにこの左側にはソースカツ丼のお店があるので、一度食べてみたいです。

入り口の反対側に下ると足湯がある。
ここ岳温泉の湯は濁り湯でした。
ちなみに温度が高めなので3分も入っていられませんでした。

宿に戻って朝食です。
離れなのでもちろん部屋食です。
メニューはしじみ汁、海苔、山かけのなんか、納豆、がんも、牛乳、昆布巻き、むつ焼き物、いか漬、わらび。
普段は朝はこんなに食べませんので、腹一杯になりましたよ。

宿を出て安達太良山に向かう。
途中で道の駅つちゆに寄る。
安達太良山には雲が掛かっていました。
なので「あだたらエクスプレス」というゴンドラに乗ろうと思ったのですが、風が強くて停まっているそうです。
仕方がないので安達太良山へ行くのは、止めにしました。
どうも箱根といい白根といい、余は山には縁がない様です。

なので昨日は挫折した人取橋古戦場へ行きました。
昨日は分からなかったので近辺で田んぼの稲刈りしているおばあちゃんに場所を尋ねたら、
100m程離れた場所を指さされました。
よく見ると国道4号線のすぐ脇に白い標柱が立っているのが見えました。
この標柱、登り車線からは全然分かりませんでしたよ。
昨日下り車線を走っていた時は右側のラーメン屋に気を取られていたので気づかなかった様です。
おばあちゃんに感謝!
ちなみに標柱の右後ろに見える小さな橋が人取橋です。
ここで天正13年11月17日に伊達政宗軍7000と、佐竹・会津連合軍30000が死闘を展開したのです。
四倍の敵に勝っちゃう政宗ってすごいよね。
ちなみにこの合戦でいかりや長介が演じた鬼庭左月が討ち死にしている。

郡山に着く。
これは旧福島県尋常中学校本館を利用した安積歴史博物館です。
明治22年に造られた当時の木造校舎がそのまま残されています。
木造校舎というと中学時代を思い出すのでついつい来ちゃいました。
なお安積高校の敷地内にあるので、堂々と高校敷地内に侵入しちゃいましたよ。
ここのJKはブレザーでした。

殆どの教室は展示室になっていますが、一部屋だけ当時の教室が再現されていましたよ。
なのでここだけは写真を撮りまくりました。ヒャッホー!!

展示室で見つけた裸婦像!
モデルはやっぱりJKかッ?!
ところで今回のタイトルですが、余は安積というと海音寺潮五郎の小説「王朝」にある春宮怨という話を思い出します。
この作品に「浅香山かげさへみゆる山の井の あさくは人を思うものかは」という和歌があるのです。
どうやら郡山付近に安積山があるみたいなのです。
一度行ってみたいですね。

郡山から南下して白河に着く。
白河というと小鳥しゃん・・・じゃなくてラーメンが有名なのですが、今日は蕎麦屋に入りました。
まっぷるに載っていた創業二百年程の老舗なのですが、余的には薄味だったかな。
マジ、天丼に醤油をぶっかけたかったです。

ここでも天地人キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
白河というと太平記の頃は結城宗広の城がありました。
しかしこの白河小峰城は戦国期の城で、太平記の頃の拠点はもっと東の山にあったそうです。
今は幻の白河決戦の舞台という事で天地人の幟があちこちにおっ立っていました。

小峰城には平成3年に忠実に再現された立派な御三階櫓と6年に復元された前御門がある。
櫓になっていますが実際は天守閣ですな。
ちゃんと木造なので小さくても見応えありますぜ。
しかもありがたい事に入城料は無料でっぜ!!感動シタ!!

さっそく中に入る。やっぱ中はイイですね。
最上階は小さくて狭いですが。

本丸の石垣はけっこう高さがるので迫力っす。
下に見えるは腰曲輪でバラ園があります。
このバラ園、花がぱらぱら咲いているのですが人影は二人だけ。
何故かというと入園料が100円なのです。
なので余も入りませんでした。
この寂しいバラで100円はなぁ・・・・

本丸中央から御三階櫓を見る。
本丸の周囲はぐるりと盛り土で高くなっています。
小さなお城でも、ちゃんと天守閣があるとパンピーにでもお城と認識してもらえるのでいいですね。
バブル期にあった佐倉城復元計画。あれはどうなったのだろうか・・・・

帯曲輪門付近から見た本丸西側の腰曲輪土塁。樹木に隠れて石垣がある。
こんな感じに水壕と土塁があると、中世のお城っぽいですね。

小峰城から南下すると南湖という湖があります。
その畔には白河藩松平定信を祀った南湖神社が建っています。
南湖は定信さんが庶民の為に造った日本最古の公園なのですよ。

神社の脇には翠楽苑という日本庭園がありました。
庭園スキーとしては見逃せないっす!
早速入りましたが、この日はお月見なので池にあんどんがいっぱい浮かんでいました。
まだ出来て新しいので庭の木々がみな同じ格好でぎこちなかったです。
もう五年ほどすれば、いい感じに馴染んでくるでしょうね。

南湖。といっても西郷隆盛とは関係ありません。
かつては湿地帯だった場所に人工的に築かれた湖らしいです。
歩いて一周しようかと思いましたが、思いの外にでっかいので車で廻りました。
中には島もありました。今は釣り人が大勢です。
やっぱ白河という事で、ここはほっちゃんボイスで
「釣りですか?」(w


再び「天地人キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
南湖からさらに南下して山とたんぼばかりの田舎へ行く。
するとのんびりとした田園風景の中にあったのは白河皮籠原防塁でした。
ここは大河ドラマ関ヶ原の時に写ったすんごい石垣の城塞の場所です。
とあるサイトでこの場所を知った時は、田舎で場所が分かりづらいとなっていましたが、
それはそれ、やっぱ日本全放送協会の全面的な支援で宣伝された影響で、
町で配布しているパンフにゃ掲載されているわ、道に標識まで出ているわ、おまけに駐車場まで完備だぜ!
まあ、そのおかげでこうして無事にたどり着けたのだから、感謝です。

白河皮籠原防塁はこの様に80mと100m程のL字に土塁と空堀があります。
まるで東金の御茶屋御殿みたいかな。

これも大河ドラマ効果!
どうみてもこの看板、大河ドラマ放送開始後に立てられたものだよ!
まあ看板の写真を見れば分かると思うけど、どうやらこれは上杉軍が「幻の白河決戦」の際に築いたのではなく、
鍛冶屋屋敷を護る為のものだったのではないかという説もあるんですねぇ。
流石にこれは何千という軍勢を迎え撃つにはちんまい陣地ではあるまいか?
真相は烏賊に?

白河皮籠原防塁からさらに南下。
もう周囲は山である。
着いたのは西行法師や松尾芭蕉でも知られる白河関跡。
まあ実際ここだったのかは諸説があって、ここも定信さんがここだと限定した為だそうです。
それはさておき、関所といっても箱根や勿来と違って小さな神社があるだけでひっそりしています。

駄菓子菓子!
神社の横には、中世の館跡と思われる遺構が残っているのです!
館跡は四方60m程の規模で、周囲には深さ6m、幅8m程の空堀がぐるり巡らされているのですよ。
これがすんげー見応え「十分ですッ!!」
白河関跡は前にも来た事あるのですが、そん時は全然気がつかなかったよ。
でも、来てヨカッタ!

館跡への入り口らしい土橋。
この感じは正月に行った畠山重忠の菅谷館みたいですね。
白河関跡を見終わって帰路に着きました。
この日は土曜日なので高速もお財布にやさしい1000円で帰って来られましたよ。

最後にお月見なので満月タン(あったなぁ、そんなアニメが・・・)を撮影してみました。
「尻振りキター!」

今回の福島温泉旅行はこれで終わりです。
やっぱ涼しくなってくると温泉は国崎最高ですね。
お次は紅葉が盛りになってきた頃に行きたいですねぇ。
天地人つながりで会津か米沢がいいかなぁ。

そんじゃ股ね。