津軽平定戦 その弐 

青森旅行の第二弾。
今回は紹介したい写真が多すぎるのでいつもの様に日にちごとではありません。
なのでまだ二日目の午前中なのです。

さて弘前城を後にした余は真東の八甲田山方向に向かうのであった。

昼飯を食って走る事一時間ぐらい。
着いたのは国民保養温泉の第一号に選ばれた酸ヶ湯温泉
80坪の千人風呂がある温泉オタクの聖地だ。しかも混浴。
しかし湯船の写真は撮れませんでしたって、当たり前だのクラッカー!!

酸ヶ湯温泉の周囲には、まだまだ雪が残っていました。
おかげで涼しい?!

酸ヶ湯温泉から更に東に走る。
道路の両側には雪の壁が!
気分はモンテカルロラリーだぜ!!

雪山がきれい。
向こうが十和田湖方向か。

「天は我を見捨てたかぁ!!」
有名な八甲田山
なんか信州に来た感じだよ。
平日な為か峠道も空いていて良かった。
ぷりんぷりん体操は峠道を攻めるにはノリがいいぞ!

途中で七戸に入る。
すると標識に七戸城跡というのが目に入ったので立ち寄る。
何でも南北朝時代に顕家様の家来工藤右近将監が館を構えたのが始まりだそうだ。
その後、南部師行の弟・政長が入城。
戦国時代の天正十九年(1591)の九戸政実の乱では、城主・七戸家国は政実方となったため滅亡。
つまりここも太平記と関わりがあるお城であった。

公園となっている本丸を歩いていると爆音が響く。
空を見上げるとE−2Cホークアイが飛んでいた。
ここは三沢に近いので空自のであろう。
あと三沢も近いので戦闘機らしい飛行機雲も見えたよ。

二の丸と北館との間には水濠が残っていたよ。
こんな小さな濠でも、あるとぐっとお城らしく見えるから不思議だよね。
ただし一般ピープルにゃ、フツーの池にしか見えないだろうな。

二の丸曲輪と周囲に残る土塁。
ちと整備が行き届きすぎているが、雰囲気は残っていると思う。
きれいすぎのも興ざめだが、ガサ藪も困る。これからは蛇や蜂の出てくる時期だし怖くて歩けなくなるよ。
この日もすでにスズメバチが飛んでいた。
「空襲!待避ーーー!!」

二の丸の展望台に向かっている時、対岸の貝ノ口との間にある大堀切に城門があるのを発見。
あれはなんだ?

更に右手には躑躅がきれいな神社があった。
行かなかったけど天王神社というそうだ。
しかし躑躅が赤一色ってのもすごいなぁ・・・って躑躅だよね?

本丸には神社が建っている。
で神社の額なのだが字を書いたのが陸軍大将一戸兵衛となっている。
一戸さんというと奉天会戦時の乃木第三軍の参謀長だ。

神社境内にある板碑には元帥陸軍大将奥保鞏の名前が!
こちらは日露戦争での第二軍司令官な人だ。
ちょっと感動したよ。

東門。
なんか記念事業で復元したらしい。
建てるのはいいんだけど場所がなぁ。
せっかくなんだから公園の正面入り口に建てればよかったんじゃないかなぁ・・・・

七戸から北上する。
着いたのは国道四号線沿いにある日本中央の碑保存館。
ここは火曜日定休なのだが、十数年前に訪れた時はまさに火曜日だった。
「アイ・シャル・リターン!!」

写真じゃちょっと解りづらいが、まさに日本中央だった。
実物を見た瞬間、余の頭に浮かんだ言葉。
「ちょーウサンくせー!!」
なんでも平安時代坂上田村麻呂が刻印したそうだが埋められていたそうだ。
その後、明治天皇が来た時に探したのだが見つからなかったけど戦後に見つかったとの事。
この話もうさんくさいが、そんな事よりも何故青森で日本中央なのか?
これが最大のミステリーだ。

昔の写真を見ると最初はこんな感じに道端にあったらしい。
今もこうだと転売屋に盗まれちゃいそうだね。

今度は南下して新郷村に来る。
なんとここにはジーザスクライストスーパースターのお墓があるのだ!!

これが十来塚、つまりイエス・キリストのお墓である。

反対側には十代塚、キリストの弟であるイスキリのお墓もある?!
ただし聖書にはイスキリという人物は出てこない。

超怪しい古文書「竹内文献」によるとゴルタゴで処刑されたのがイスキリで
キリストは日本まで逃れてきて十来太郎天空坊として生きていたと言うのだ。
そんな訳でなぜか弟のお墓と向かい合っているのだった。

すぐ脇には、この前来た時にはなかったキリストの里伝承館なる建物が出来ていたよ。
正直言ってチョーうさんくさかったんだが入館料200円だったので、せっかくだから入ってみたよ。
そしたら案の定うさんくさかった。200円払わせてこれだけ?って感じ。
だが入って後悔しなかったよ。
それはここで重大な情報を入手出来たからだぜ。

キリストの墓から少し離れた山奥に崩という集落があるそうだ。
その集落になんと長慶天皇のお墓があると言うのだ!
長慶天皇といえば南朝三代目の天皇にして余の兄君であるよ!
こんな所に兄君が眠られておられたとは思いもよらなかった。
で、これが長慶天皇のお墓。
標識なんかないので迷った。

集落の裏山にそれはあった。
この通り、天皇の陵墓に準じた造りなっている。
それにしても静かな所だ。空気がうまい。

こんな風に周囲は山である。
冬になると雪がすごいんだろうな〜
名残惜しいが兄君の陵墓を去る。
さらばじゃ兄君。

ここで翌日。
道の駅で車中泊。同志がけっこういたよ。みんな宿代をケチっているんだんぁ。
で朝の7時に三戸城に着く。
三戸城は永禄年間(1558〜70)に南部晴政が築城となっている。
以来南部氏の本拠となっていたが九戸政実の乱後に九戸城に引っ越し。
その後は城代が置かれ明治維新を迎えたようだ。

本丸までは車で登れる。膝が痛い余にはありがたい事だ。
朝早いので靄っていた。
本丸には駐車場があり、ここで朝食を取る。

散策を始める。
本丸横の少し低い場所にある谷丸。
しかし靄で視界が悪い。すげー早朝って感じだ。

本丸搦手門跡。
礎石が空しく残るのみ。

「繭子ひとり」
北郭には何故か銅像が建っていた。
なんでもNHKテレビ小説の主人公らしい。
東北の高校を卒業した主人公が上京していろいろある話でどうやら三戸出身らしい。

繭子の側にある亀池。ついでだが鶴池もある。

池の先に展望台がある。
望岳亭というそうだが、当然のごとく靄でナニも見えない。

展望台に立つでっかい看板には、周囲から見ると三戸城となっている。
いずれ倒壊の虞れあり?

繭子後ろ姿。
しかし誰も居ないと思ってここに来たらびっくりするだろうな。
こんな公園の中に一人佇む意味ありげな女性の姿・・・・

本丸の西側に神社があり、裏手に土塁が残っていた。
先ほど本丸まで車で登れてありがたいと書いたが、おかげで当時の面影がないのは困った物だ。
土塁は本丸内を区切っていた物か?これも当時の土塁か疑問である。

当時は無かったであろう天守閣が建っている。
中は資料館なのだが、早朝なので開館していない。
さすがに開くまではいられないな。望楼からの景色は見てみたかったかな。

神社脇の空堀跡。
でも少ししかない。多分埋められちゃったんだな。

ふるさと創生事業で造られたらしい御綱門。
枡形の立派な門である。
これはちゃんとここにあった建築で模擬ではなさそうだ。
しかし場所も当時と同じ場所なので車道から外れているので寂しい場所になっていた。

御綱門内側。
左の石碑には天地有情と彫ってあった。
無用は知っていたが有情ってのは始めてだ。
しかし何の意味があってここに建てたんだろ?

三戸城全景。
この頃になってやっと靄が晴れてきた。
「う、まぶしっ」
こうやってお城の全景が撮れるのは喜ばしい事である。

これも全景。
望岳亭にあった三戸城の看板も確認出来る。
ちなみにサークルKの看板が見えるが、ここでリプトンのアクセサリーつきペットボトルを購入しました。
おかげで娘達も大喜びです。

ここまでで三日目の朝が終わりです。
次回は今回の旅のだだ、大本命ですよ。