津軽平定戦

以前に津軽南朝秘聞という小説を読んだ事がある。
太平記に出てくる北畠顕家の子孫が青森で戦国時代までいた事を知った。
それから一度は行ってみたいと思っていた。
そこで休日高速道路が1000円というのでチャレンジしてみた訳である。

ドルパ21でDD凛をお出迎え出来ず傷心の余は、6日に愛車「本田はおにぎり号」に乗り北を目指した。
この日はひたすら高速道路を走り続ける。
途中の仙台を走っている頃に「本田はおにぎり号」の走行距離が66666キロを記録した。

秋田で車中泊をして翌日に青森の浪岡インターで高速を出る。
この日は平日なので割り引きが利くか料金所に入るまでは半信半疑であったが、ちゃんと1000円だった。
ありがとう麻生総理!!12000円以上の割引だったよ。

今回の旅行の目的その一である浪岡城。
北畠顕家様から五代目の顕義の頃に浪岡城に入ったらしい。
16世紀前半に北畠具永が現れて浪岡北畠氏は全盛期を迎えたが、
1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城した。

城跡の南東に資料館があって駐車場もある。
しかし今日は連休明けの平日。つまり市営の博物館はお休みである。
なので案の定、資料館はお休みでした。

資料館裏から城跡を目指す。
比較的平らな地形に東館、北館、西館、内館、猿楽館などの曲輪跡が残っている。
まず最初は南側から東館に向かう。

東館から西を見る。
左の曲輪が猿楽館、右は北館である。中央奥の木が茂っている所が内館だ。
曲輪の間を堀と土塁が区切っているが、これが見応えある。
こんな所は常陸の小田城みたいだと誰かが言っていた。

東館にある立体図。
これだと堀は水堀だったみたいだ。

東館と中土塁を繋ぐ橋。
簡素だが実際もこんな感じだったのだろうか?

北館の八重桜。
津軽地方にはまだまだ桜が各所で咲いていたよ。
今度こそ今年最後の花見だ!

北館には板塀で当時の区画が再現されていたのだが
どうみてもバーベキュー広場にしか見えない。

北館から内館を見る。
こう見ると平城なのだが結構な高さがある。
手前の堀にも中土塁があり、まるで二重堀に見える。

左が内館で右が西館。
中土塁が通路なのだが敵が攻め込んで来たら、両側から矢を射る事が出来る。
敵は遮蔽物がないので攻めづらい事であろう。

西館。
転がるバケツが兵どもが夢が跡を感じさせるぜ。

内館の虎口。
内館が事実上の本丸なのだが虎口は狭い。
この辺が中世の城っぽくて余にはイイんだがね。

左が西館である。
北館の北には外郭部があるのだが、今は住宅地になっている。
自宅の前が城跡だなんてイイよね。サバゲーやり放題だッ!!

猿楽館は立ち入り禁止になっていたので荒れ放題。
なんでも井戸があって危険なのだそうだ。

南側には浪岡川があって水堀の役目を果たしていたのだろう。
当時はもっと広かったのだろうな。

北館には復元模型の写真があった。
実物は近所にある中世の館にあるそうだが、当然この日は休みだろうな。
北館は小さな屋敷が何件も建っていたらしく、家来の居住区だったらしい。

内館全景。
こちらが御館様の住居跡だったのだろう。
やっぱ殿様が一番高い場所に住まないとね!

西館の西。ここにも虎口が見える。
染井吉野はほぼ散っていたが、満開の頃に来たかったなぁ。
ちなみに時間はまだ朝の7時ぐらいなので曇っていた。

開いていないと思いつつ、中世の館に行ってみたら博物館の横には何故か小学校がッ!!
かつての浪岡小学校の校舎が博物館になっていたのだ!
学校スキーな余は狂喜乱舞したのだが、こちらも定休日だった。ショボーン・・・

浪岡を去り弘前へ向かう。
弘前城に着いた頃には快晴だ。
観光館に車を停めて追手門からの登城である。
ちなみに弘前城は大浦為信が造った城である。
つまり浪岡北畠氏を滅ぼした張本人のお城である。

追手門脇の水堀。
桜の花びらがいっぱい浮かんでいた。
この弘前城は昨日までが桜まつりだったのだ。

弘前城跡案内図。
ここには天守と三つの櫓と四つの櫓門が残っている。
今回はそれらの現存建築を全制覇したいとおもう。

二の丸南東にある辰巳櫓。

三の丸から二の丸を繋ぐ杉の大橋。
横の桜は満開だった!
弘前は浪岡よりも南な為か、あちこちで桜がまだまだ咲いていたよ。

二の丸南西の未申櫓。
辰巳櫓もそうだが弘前城の櫓はデザインがデブい。

二の丸の堀と杉の大橋。
城塁は高さがある。
石垣でない所が東国の城っぽい。

杉の大橋を渡ると南内門がある。
城門は土塁で囲まれて枡形を形成している。

西側の蓮池。
でも蓮がない。ただの池にしか見えないな。
左には西濠があり間の土塁には桜並木があって桜のトンネルになっているそうだ。

天守というか御三階櫓。
本当は五層天守があったのだが落雷で消失。
こっちは隅櫓を改装して天守としたものだそうだ。
いわゆる写真スポットである。

手前には本丸の馬出に入る下乗橋がある。
この赤橋を構図に入れた方がイイか?

本丸は有料区域なので9時まで入れないので周囲を回る。
これは二の丸の東内門。

東内門を出て三の丸から外に向かうと東門がある。
けして同じ門ではないよ。

二の丸北東にある丑虎櫓。
やっぱデブい。

北門に向かう枡形跡。
ここにも櫓門があったらしいので見事にクランクを描いているのだが
さくらまつりの出店が並んでいるので全容が見えない。

北門に残る矢弾の跡。
北門は他の城からの移築なので戦の傷跡が残っているそうだ。

北門と亀甲橋。
ここからさくらまつりの後片づけをするトラックが出入りしていたよ。

北の郭の水濠。
水濠と土塁の組み合わせが東国さをアピールしている。

しかし本丸の城塁だけは石垣なので、こっちは一転して江戸期のお城っぽい感じ。
ここも撮影スポットだ。

本丸の北の出入り口にある鷹丘橋。
石垣と桜と赤い橋の組み合わせは西国のお城と同じだ。

本丸から岩木山が展望出来た。
雪山と桜。
うーん、絵になるなぁ。

天守っていうか御三階櫓。
南東から見ると切妻屋根や破風があって派手だが
北西から見るとシンプルである。
まるで舞台セットを裏から見ている様だ。

石落し。
本来は石を落とすのだろうが、黒沢の乱だと鉄砲をブッ放していた。

御三階櫓最上階。
せいぜい十二畳ぐらいか。

格子越しに見る岩木山
撮影スポットか知らんが、おばちゃん達が余にケツ向けて撮影していたよ。

階段を上から撮影。
下から撮影したかったが通報されそうなので上からにしたよ。
階段が急なので膝が痛かった。

御三階櫓の中は史料館になっている。
ちなみに弘前城へは事前に休みではない事をチェックして行ったよ。

本丸現状。
ここに御殿が建っていた。
中央左の石垣の上にあるしだれ桜も見事らしいが、これはすでに散った後だった。

南西から見た御三階櫓。
裏表を一度に見ている感じだ。

再び下馬橋から御三階櫓を撮る。
やっぱりこのアングルからの写真が様になるか?

観光館に行くとスバル360が展示してあった。
今ではさっぱりダメになったスバルであるが、昔はこんなにもイイ車を作っていたのだ。

近くにある市役所にある旧日本陸軍第八師団長官官舎。
こんなにも弘前城からすぐとは思わなかったよ。
師団長の官舎だからもっと大きいかと思ったが、意外に普通な大きさだった。

官舎裏側。
田舎の小学校みたいである。
なお、内部の見学は出来なかった。
理由は室内に市の重要資料とかが保管されているからだそうだ。
折角なんだから観光客に開放してください弘前市さん。

弘前城の鬼門を護る最勝院五重塔
なんでも本州最北の五重塔だそうだ。


今回の青森方面旅行は、紹介したい写真が多いので数回に分けて公開する事にします。
とりあえず第一回目はこれでおしまい。
ではまた。