足柄峠攻防戦

世間はチョコ騒動で浮かれていた先週末に余は旅行に行ってきたぜ!
出発したのは魔の金曜日。
東京を抜ける必要があったので早朝5時におっきしたよ。
おかげで出勤渋滞に巻き込まれる事無く東京を通過出来ました。

この日最初の観光は南足柄市にある大雄山最乗寺
ここへはマップルで見て寄ったのだがスゲー山の中だった。
周囲には杉がいっぱいなので花粉症の人にはオススメ出来ませんな。

ここは天狗信仰が盛んらしく各種下駄が奉納されていた。
奥にある赤いのは鉄製でかなり重いらしいぞ。

お次は金太郎で有名な足柄峠
関所の跡が残っていた。

足柄峠には新羅三郎義光吹笙之石なるものがあった。
新羅三郎義光八幡太郎源義家の弟で、音楽を好み、笙を豊原時元に学んだ。
義家が後三年の役で苦戦していると聞き官位を捨てて応援に赴いた。
その際、相模国足柄山で笙を吹き、時元の遺子である時秋に学びし所を尽く授けて訣別したという逸話がある。
その時の場所がここなのだそうだ。

そして足柄峠というと足柄城。
戦国北条氏がここに対武田氏用の城塞を築いていた。
足柄峠全体が城跡として残っている。

本郭にある峠の石碑。
本来ならば富士山が見える筈なのであるが、悪天候の為に姿は見えず。
おまけにすんげー風でカメラを持つ手が震える。
ちなみにここ足柄峠太平記時代にも戦場となっている。
建武の新政の時、鎌倉の足利尊氏を討伐する為に新田義貞率いる官軍が攻めてきた際の
攻防戦がここ足柄峠と箱根峠で繰り広げられたのだ。
箱根峠を攻める義貞は足柄峠攻めに弟脇屋義助を向かわせたが尊氏の反撃に敗北。
官軍は空しく京に逃げ帰るのであった。

足柄城から御殿場方向に下っていくと途中にあった遠見。
竹之下合戦に敗れた官軍が逃げる際に、尊良親王が落ち延びるのを二條為冬が見送った場所だそうだ。
尊良親王と言えば京都の永観堂に行く時にお墓があった人である。

更に下って着いたのは白旗神社
手前の橋の下は東名高速の下り線。
嘗て余がスピード違反で捕まった場所である。シクシク・・・・

白旗神社には官軍の戦死者のお墓があり、二條為冬のお墓もあった。
二條の二と條の文字の間、右後ろにある石塔がお墓である。

付近から見た景色。
少し雲が切れて富士山が見え始めていたのだが、写真は間に合わなかった。
結局、それっきり富士山が見える事は無かったよ。

御殿場に出て乙女峠を越えて芦ノ湖スカイラインを走るが、雲中飛行な気分だ。
そして国道一号線を下って着いたのは山中城
ここは豊臣秀吉小田原征伐戦の激戦地。
北条氏は最先端の技術で山中城を築城して豊臣勢に備えたのだが、
精鋭山中城はあっけなく一日で落城するのであった。

駄菓子菓子!
山中城の見所は北条流の築城術がそこかしこに見受けられる所である。
有名なのは障子堀。
見事過ぎる。
こんな感じに見事に復元保存されているのだ。
写真は西之丸のものだが、あちこちに残っているので見応え十分である。

こっちは畝堀。
区分けされた底には泥があって落ちた兵士が身動き取れなくする為だが
実際には畝を通って掘を渡られてしまい落城のハメになったそうな?!

山中城には箱根街道が通っており昔の石畳が復元されていた。
足柄城もそうだが北条流築城術では主要道路上に城を築く事が多い。
これも障子堀や畝堀の様に北条流築城術の特徴である。

国道一号線を挟んだ反対側にある岱崎出丸。
ここにも畝堀が残っていたが、長い。
出丸の斜面に沿って続いていた。
その右側に国道がある。
画面の奥方向が三島である。

芦ノ湖
見ての通り天気は良くない。
風があるのだが遊覧船には結構な人が乗っていた。乗り心地は大丈夫だったのか?

最近になってきれいに復元された箱根関所。
さっぱりテーマパークとなっていたよ。
JAFの割引が利いたので百円引き。JAFカードを使ったのは久しぶりだ。

関所のお役人。
お役人ってぇ事は、つまり公務員だなッ!!
ゆるせん!!

関所全景。
高台にある見張り櫓から見下ろした所。

恩賜箱根公園にある湖畔展望館。
嘗て明治天皇離宮庭園があった場所だそうだ。
画像の展望館は最近建てられた物。
ちなみに入場料は無料です。
ありがたい事である。

二階のテラスから見た芦ノ湖
やっぱり天気が悪いが雨が降っていない事はラッキーだった。
しかしここも風が強くて寒かった。

国道一号線を小田原方面に向かって走ると大きな五輪塔がある。
日本三大仇討ちとして有名な曽我物語の主人公達、十郎祐成と五郎時致、十郎の妾虎御前のお墓。
国道沿いなので何度か見かけた事はあったが、ちゃんと見たの初めてである。
とにかくここもすげー風で噴き飛ばされそうだ。

この日最後は箱根神社に向かう。
すでに夕方の様に暗いがまだ3時なのである。
本殿は赤が派手な社殿でした。
この後は宿に向かい温泉でゆっくりしたのであった。
翌日のレポートは次の機会に。
ではまた。