ミレニアム源氏物語

ノイタミネがあさきゆめみしではなくなった事はスゲー悲しいが京都旅行の二日目。
仕事の影響でなんと朝の5時に目が覚める!
悲しい体になってしまった事よ。
仕方がないので早朝清水寺に押し入る事にした。
フロントで拝観時間を尋ねると6時からだと言うので5時30分にホテルを出る。
距離的には2キロ弱なので6時には着く予定だ。

早朝なので人なんかいないだろうと思っていたが十人ぐらいは来ていたよ。
写真を見ても解るだろうがまだ日の出前。
有名な清水の舞台も暗くてわからん。
本当は夕方からライトアップをしていたのだが
昨夜は疲れていたので酒呑んだら出掛けるのが億劫になった。
まあ早朝の外出も旅先ならではの事だ。

着いてから10分程で空が明るくなってきた。
本堂と三重塔をバックに京の街が見えてくる。

音羽の滝から清水の舞台を見上げる。
さすがにこの時間だとここも空いていた。
高校の頃に来た時は行列だったのでチャレンジしなかったので今回はゆっくり飲めた。
さて余が飲んだのは学問成就、縁結び、延命長寿のどれでしょう?

清水寺からホテルへの帰り道。六波羅にある六道珍皇寺に立ち寄る。
ここを知ったのは宇宙皇子の作者藤川圭介の作品である篁・変成秘抄からでした。
小野篁平安時代初期の公家で野狂の人と呼ばれ
このお寺にある井戸から地獄に行って閻魔大王の元で裁判員をしていたという。
地獄でも今で言う裁判員制度で選ばれたのだろうか?
ちなみに聖徳太子の頃に遣隋使に選ばれた小野妹子の子孫である。
もしかしてささら中の人のご先祖様か?

お堂の中に篁の木像があるのだがガラス越しでは映らなかったよ。

しかたがないので近くに貼ってあったポスターでガマンしてくれ。
身長180サンチを超える大男だったらしい。さすが野狂の人。

六波羅と言えば六波羅探題
鎌倉幕府の京都出先機関だが足利尊氏の離反によって攻め滅ぼされる。
つまり太平記関連施設である。北条越後守仲時は好きだ!
もっとも平清盛の館があった場所と言う方が有名かもね。
ちなみにここはまだやっていなかったので入れませんでした。

鴨川に掛かる松原橋
その欄干に一羽の鳥が留まっていたので思わずシャッターをキル!
さて、この鳥はなんて名前なんだろうか?

朝食付きで予約したので(そのプランしか空きがなかった)ホテルに戻って飯を食う。
しかし朝飯は客がいっぱいで混んでいた。流石はシーズンの京都だ。ちょっとなめていたよ。
チェックアウトをすませた余はいったん駅に向かって荷物をコインロッカーに預ける。
昨日もそうだったので大きなバックを持ち歩かずに済んだ。
一日観光券を持っているので地下鉄バスが乗り放題だから出来る事だ。
この日まず向かったのは平安神宮
朱の鳥居が「まぶしっ!」

入り口の応天門。
伴大納言が燃やしたヤツのレプリカ。

平安時代大内裏の中心にあったのが大極殿である。
平安神宮大極殿と応天門は明治に復元されたもので8分の5サイズである。
なんか半端な数字だ。
ここにも修学旅行厨の女子高生がおりました!
「べ、別に女子高生を撮りたかったんじゃないんだからね!」

お次は上京区寺町にある廬山寺。
一見、ただの小さなお寺でしかないが、途中で団体のじいさんばあさんとすれ違う。
どうやら廬山寺から来たようだ。

境内には源氏をイメージした庭園が造られていた。
小さいながら整った庭園である。
参拝者も10人程いる。
特別展示で源氏物語の写本も展示されていた。

なにを隠そうこのお寺、実は紫式部の邸宅跡なのだ。
言わずとしれた紫式部こそ源氏物語の作者である。
つまり源氏物語はこの場所で執筆活動を行っていたと推測されるのだ。
流石にミレニアムらしく人出が多い訳だよ。
前に来たときは数人しかいなかったんだぜ。

廬山寺のすぐ西が京都御苑である。
これは仙洞御所の築地塀
ああ、この中は入った事ないんだよなぁ。
うらみがましく築地に触ろうとすると警報が鳴り響くので注意しようぜ!!

仙洞御所のすぐ北側に土御門第跡の看板が?!
実はこの近辺が藤原道長の邸宅であった土御門第の場所なのだ。
仙洞御所は土御門第の一部の上にあるのだ。
だから入って見たかったんだよ!!

京都御所の南にある建礼門。
建礼門と言うと思い出すのが平徳子
清盛の娘で平家物語のヒロインの一人。
彼女の名前はこの門から取ったのである。

西側にある宜秋門。
きれいだと思ったら昨年屋根を葺き替えたらしい。
宮内庁の人が自慢げに話していたよ。
今回の見学に入り口は宜秋門の北にある清所門からだ。
春秋の一般公開の時と同じ門である。
余は11時の標準コースだが、数えたら60人ぐらいいた。
その中でも余が一番若そうだ。
とにかく周りはジジイとババアばかりだ。
源氏LOVEな女子大生とかOLはいないのかYO!!

建礼門のすぐ北にある承明門から見た紫宸殿。
今回のコースでは紫宸殿前の南庭には入れなかった。
一般参賀の時は入れるのだ。
しかし余はかつて見学した時は、工事中の為に南庭を通った事があったので
今回も南庭に入れると思っていたよ。
ちょっと残念。

で、いきなり清涼殿。
今回、ここを見られてヨカタ!!
清涼殿は余が好きな建築物のベストに入る建物だ。
いずれドリームジャンボで3億当たったら建てる予定である。
清涼殿は帝が日常住まう御殿である。
右側の広場は警固の武士が詰める滝口という場所。
右側の遣り水に小さな段差があって滝に見立てている所からその名が付いた。
滝口なので一般参賀の時はここに皇宮警察の人が立っているんだよ。

東廂と昼御座。
ちょっと見づらいが中央左寄りに御座が敷かれているが、ここに帝が座るのである。
京都御所は江戸時代末期に再建されたものなので書院造りの建物が多いが
この清涼殿だけは寝殿造りで再建されているので。
つまりここだけ源氏物語の雰囲気を色濃く残しているのである。

石灰壇方向を見る。
身舎の手前に広廂があり、その手前に勾欄付きの簀子縁がある。
白い屏風がある空間が石灰壇で地面に見立てて天皇が御拝する所。
その左に大臣公卿が会議をした殿上間がある。

こちらは正面右手。
青と金の衝立が昆明池障子で、さらに右にあるのが荒海障子である。
荒海障子には手だけ長い男と足だけ長い兄弟の絵が描いてある。
ちなみにこの格子の中が弘徽殿上御局。
奥さんの控えの間である。

天皇がお仕事をする場所である昼御座。
手前の四角いのが平敷御座で左が狛犬、右が獅子、後ろが御帳台。
御帳台は風俗博物館にあった個室ベットのような物だ。
手前にうっすら見える糸の様な物は防犯センサーみたいだ。
この右側が塗籠になっていて夜の部屋になっている。

清涼殿東側全景。
なかなか人がいなくなるのを待っての撮影は難しい。
ちなみに映っている人は皇宮警察の人。
スタンガン持って見学者の最後尾を警護しているのです。
一番警戒されていたのは一番怪しい挙動の余みたいだった。

小御所前の御池庭。回遊式庭園だそうな。
左に映っている屋根は御常御殿です。
岸辺に敷かれた石と湖面に映る木々がきれいです。

小御所と御学問所の間にある蹴鞠の庭。
ここで「はいよー!」「ほぁー!」ってやるんでつね。

京都御所を見学し終えた余は地下鉄に乗って南下。
着いたのは教王護国寺、つまり東寺。
弘法大師でメジャーな所です。
画像は南大門と国宝五重塔
築地とお堀がきれいですね。

こちらは国宝の金堂。
中に薬師三尊像や十二神将像があるのだが撮影禁止です。

こちらは重文の講堂で立体曼荼羅があるけど撮影禁止。
実はこの他に国宝の大師堂ってのがあって国宝の大師像があったんですね。
この頃には歩き疲れて足が痛くて辛かったので奥まで行かなかったよ。
この後駅までたった二つ先なのにバスに乗って京都駅に向かいました。

京都駅の地下にある商店街でおみやげを物色した後
八条口にある宇治茶祇園辻利に入る。
ここは祇園にある抹茶パフェやほうじ茶パフェで有名な都路里の系列店。
余は抹茶フロートで一休み。
だがこれが喫茶ルノアールのココアよりも甘いのであった。
休憩後、新幹線に乗って京都を去る。
さらば京よ。また来るまでは。

おまけ。
新幹線から撮影した彦根城